本

『吸血鬼ドラキュラ』

ホンとの本

『吸血鬼ドラキュラ』
三田村信行文
ブラム・ストーカー原作
ポプラ社
\1400+
2022.4.

 ドラキュラの名は、何故か知らない人がいないように思われる。人の血を吸う怪人であり、十字架とニンニクが苦手だということも、有名である。漫画やアニメで可愛いキャラクターとして扱われることもあったので、藤子不二雄や手塚治虫の漫画を知る世代には、そちらの方が馴染みがあるかもしれない。
 本編は1897年に発行され、よく知られるようになった。本書は、日本人が「文」となっているが、それは子ども向けに翻案して書き直しているからだ。もちろん、ストーリーを変えたり、茶化したりするようなことはない。原作の筋書きを変えないように綴っている。
 なお、「あとがき」で説明しているが、日記・手紙・新聞記事・ニュース記事などが、原作の形態である。多角的な視点を取り入れ、また、それが如何にも事実であるかのようなリアルさを演出しているのだが、本書はポプラ社が、子ども世代にも物語を伝えるために、普通の小説のような形に直したということである。明確な基準があるのかどうか知らないが、中学生で学ぶ可能性のある漢字にはふりがなが振ってある。小学校高学年くらいならば十分読めるであろう。
 物語に先立って、「ドラキュラ伯爵の旅とヨーロッパ」の地図があり、いくつかのポイントになる箇所が書き入れられている。また、物語は船旅の中でも展開するため、そのコースも示されている。特に、ドラキュラ城のあるルーマニアと、ドラキュラ伯爵が購入した屋敷のあるロンドンとが、はっきりと指摘される。地理の分かりない子どもたちに対してもよい案内となっている。
 さて、物語は、ドラキュラ伯爵がロンドンで購入した屋敷の説明と契約などのために、イギリスのジョナサンという若者が伯爵を訪ねるところから始まる。如何にも怪しい城の中で、引き留められたジョナサンは、そこに吸血鬼の女たちがいることを知るが、伯爵はそれからジョナサンを守り、信用を得る。しかし、結局城に監禁され、自身はロンドンに向かう。その船上でも人々の悲劇を誘う。ジョナサンは、イギリスにいる婚約者のミーナに会いたさのために、なんとか脱出するが、しばらくはミーナに会えなかった。
 そうしているうちに、ミーナと親友ルーシーに、伯爵の魔の手が伸びる。ルーシーには、同じ日に求婚された三人の親友たる男性がいたが、そのうちの一人と結婚することが決まっていた。が、選ばれなかった男性も、ルーシーの味方としてこの後行動する。うち一人が、信頼のおけるヴァン・ヘルシング教授に相談する。ルーシーの様子がおかしいというのだ。教授は、それが吸血鬼の仕業であることを見抜く。
 伯爵は、ルーシーの血を吸い続け、ついには死に至らせる。そして、ミーナをも標的とする。ジョナサンを含む男たちは結束して、ミーナを守ろうとし、吸血鬼を倒すために立ち上がる。が、ミーナも血を吸われてしまう。このままだと、ミーナも吸血鬼になってしまう。このままでは、ミーナを殺してその呪いを解くしかない――。  吸血鬼たちは、昼間は活動ができない。そこで、伯爵の行方を追い、男たちはルーマニアのドラキュラ城を目指すことになる。
 子ども向けとは言いながらも、胸に杭を打ち込み吸血鬼たちを殺す場面は、しっかり描かれる。但し、それから首を斬り落とすことにより吸血鬼は滅びることになるのだが、その表現だけは、会話の中で現れる程度に留め、実際の場面では描かれることはなかった。恐らくどうするべきか、編集者たちと議論があったのではないかと思うが、暗示する程度にしておいたのは、ストーリーをも隠さないし、また残酷な場面を露骨に表現しないことで、まずは妥当な路線を進めたことになるだろうと思う。
 私は原作を読み通したことがない。だから、この翻案がどのくらい省略し、またどこをうまく生かしているのか、判断する材料をもたない。しかし、本書は子ども向けとは言いながらも、なかなか濃く、しかし美しく描かれているようには思った。また、水彩風のイラストがとても綺麗だ。表紙には名は記されていないが、本の「そで」には、鈴木し乃という名前が書かれ、短い紹介がなされている。そこに『願いながら、祈りながら』の名が見えた。私が一時好んで読み続けた、乾ルカの本である。改めてその表紙を見て、本書よりは8年ほど以前のものではあるが、美しくて情緒たっぷりな絵であることを改めて感じた。
 物語中にも、そのイラストが時折鏤められており、雰囲気をよく醸し出している。丁寧につくられた本は、子どもたちにもきっとその心が伝わるだろう。そしていつものことだが、大人も、こういうものを短い時間で読み通すことによって、心が豊かになるであろうことを申し添えておく。
 最後の「あとがき」にも説明されているが、19世紀の終わり、これはまだキリスト教が健全な日常であった時代の作品である。神の側につく者と、悪魔の側にある者との戦いか描かれるという、非常に分かりやすい構図がそこにある。但し、筆者はそれだけではない、とも言っている。ここにある「人間愛」をも感じてほしい、というのだ。総じて複雑に絡まり合ったものを読者に差し出そうとはしなかった、当時の作家たちの素直な心を、私たちはいまむしろ眩しく読むことができるし、またその必要があるのではないだろうか、ともふと思った。




Takapan
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