『何かお手伝いしましょうか』
立花明彦
産学社
\1200+
2014.6.
小さな新書形式で、薄い本である。ちょっと見には値段が高い。しかし、サブタイトルが「目の不自由な人への手助けブック」とある。表紙には、白杖の人を導いている女性のイラスト。これは本書の中で度々登場する。さわやかな印象であり、内容的にだいたい私は想像できたのだが、どうやって視覚障害者を助けたらよいのか、というふうなガイドブックではないかと思われた。その予想はほぼ当たっていた。
そもそも、視覚障害者への理解がどうであってほしいものか、そこから入らなければならない。わずかな想像力が必要なのだが、実際に出会ったことがなければ、確かにどう接してよいか、分からないものであろう。
教会に、そういう人がいて触れあったことがあれば、完全にとは言えないが、だいたいのところは理解できる。職場近くでふらふらと車道に出て行く白杖の方を見かけたことがあり、慌てて駆け寄ったものだったが、まずは声をかけるという、至極当たり前のことでさえ、経験のない方には分からないものだと思う。
それは、思い遣りがないとか、配慮が足りないとかいうことではない。基本的に、単純に「知らない」ということなのだ。だから、「知る」ようにすればいい。また、視覚障害者の側からしても、してもらうのが当然だ、などという姿勢でなく、互いに理解しあうという気持ちを示して戴けると、ありがたい。
そもそも視覚障害というのは、どういうことなのか。この本はそこから入る。その度合は人それぞれである。明るさが分かるという程度もあるし、よほど近ければ墨字もいくらか分かるという場合もある。しかし、日常歩行についてもかなり困難が伴う場合があるし、本当にそれは人さまざまである。
そして日常生活で何が困るか。また、晴眼者が何か助けたいという気持ちを持っている場合が少なからずあることを前提にしてくれており、そことの接点を大切にしようという気持ちも伝わってくる。
となれば、場所は、駅や街なかにほぼ限定されてくる。そこで気をつけることを了解していればいい。ほんの少しの理解と配慮、始まりのきっかけのようなものが分かっていればいいい、とも言える。そこで、まず「声」が大切であること、共に並んで歩くとすればどうすればよいか、そこをこの本は徹底的に捉えてもらおうとしているようにうかがえる。
結局、英会話であらゆる場面を想定して準備しておく、というのとは違い。突然出会ったときのきっかけと、一緒に歩くときの方法が分かればよい、というのは、指摘されるとなるほどそうなのである。日常生活の細々としたことすべてを世話する心得が必要だというわけではないのである。
その意味でふと街で出会ったとき、見かけたときに、優しい心をどのように活かしていくことかできるか、そのノウハウを、視覚障害者側から打ち明けてもらった、というような内容であるように見える。
そもそも「白状」という呼び名すら知られていない中で、この本には触れられていないが、SOSを表す、白状を上へ向けた信号も最近広まりつつある。バリアフリーとは、設備に頼るものではなくて、互いの心が開かれて、関係づけられていくようになることであるものだと感じる。
それから、点字ブロックを大切にしてほしいという切なる声は、私も常々考えていることであり、また子どもたちにも幾度も訴えている。この本には書かれていないが、キャリーバッグでがりがりと点字ブロックを傷めていくような行為には、悲しみを超えて怒りすら感じる。人のいのちに関わるものをなんと破壊していくことに無頓着であることか。
本書には、点字ブロックの上に物を置いたり、立って話をしたりということについて苦言が述べられている。遠慮がちではあるのだが、本当に、人に危害を与えることについてあまりに無関心である。また、駐車車両はまさに命取りにもなるし、たとえばブロックをまっすぐ歩いていけばトラックのミラーにぶちあたり眼球破裂にさえ陥った例があると聞いていて、マナー違反どころの話ではない。
理解すること。知識をもつこと。小さな本が、それを導く。
本当は、「手助けブック」とあるから、ちょっとした場合に役立つように、箇条書きにでもされていて、項目が沢山載っているものなのかしらと予想したが、意に反して、説明に終始していたような印象である。ハンドブックというよりは、啓発本だと言えよう。だから、最初に戻るが、想定を簡素にして、価格をぐっと提げて普及させることのほうが好ましかったのではないか、と私は個人的に考えている。せいぜい、ここで、この本の必要性を訴えることはさせて戴くのだけれども。