本

『デカルト「われ思う」のは誰か』

ホンとの本

『デカルト「われ思う」のは誰か』
斎藤慶典
講談社学術文庫
\680+
2022.2.

 元々2003年に、日本放送出版協会から発行されたものに、少し加筆するようにして、講談社学術文庫として2022年に改めて問うたものであるという。デカルトのいわゆるコギトの問題について、デカルト学者ではない著者が、自身の関心から戦いを挑んだ力作である。
 デカルトの考えたことを、正面から受け止め、それがただ単独者としての自我を定立するためのものではなく、他者を必要とする思考、しかもそれはやがて神との対峙になりゆく、祈りのような営みとなってゆくという、思考の冒険がここに描かれている。そう、これはアドベンチャーなのだ。
 まずは、この「序章」に驚かされる。もはやこれは序章などとは言えない代物である。第一章に入るまでに、全体の5分の1を消費してしまう。まずは、これは「デカルトと私が交わしたある対話の記録」であるという。いったい過去の人物との対話が可能なのかと訝しがる人を予想して、実は「死んだ者との間に」しか、対話というものは成り立たないのだ、という逆接めいたことを言い放つ。これで、鼻持ちならないと嫌悪する人は、もはや哲学には向いていない。ここで惹きこまれてこその、哲学である。しかしよく読むと、この序章に、今後の探究の展開が凝縮されている。だからまた、この序章だけで分かろうと欲張ってはいけない。全部読み終わって、再び読むのがよろしい。すると、言おうとしていることが伝わってくる。それとも、この序章だけで、なんとなく分かるような気がしたとするならば、それは、著者の思考の溝が、すでにこちら側にできていたか、その方向性を有していたかということになるだろうか。
 ただ、その著者が、もがきながら探り出す言葉に、私は興味をもった。それは、祈りであったり、死ぬことと復活であったりするのだ。デカルトの遺した言葉と著者との対話の記録がここにあるというが、その格闘の中で、どうしてこうも聖書的な言葉が飛び交うのだろうか。デカルトは、そんな言葉を用いて哲学を語ろうとはしなかったはずだ。もちろんそこには、神という言葉は出てくる。当時だから、神を否定すると、社会的に生きていけない。だがデカルトは、その神をキリスト教の教義的なものとして提示することはなかった。もちろん祈るとか復活するとかをテーマにしようとは思っていない。だが、著者との格闘の中で、それらの言葉がはじけてくるのが、面白いと思ったのだ。著者は自分と神との関係にやがて辿り着く。そこにこそ、生きることの意味が現れてくるというのだろうか。その先にこそ真理があり、求める人生または幸福があるというふうには、見ていることが窺えるから、このアドベンチャーには、付き合ってみる値打ちがあろうというものだ。
 胡蝶の夢のような話から本編に入り、まずはおとなしくデカルトの思考実験に伴っていく。ところが、「私」というものがいったい誰のことであるのか、本書の最大の問いがすでに現れるが、それへの回答はまだ先である。
 コギト・エルゴ・スムの、エルゴのない形で進むべき指針を得ると、著者は「私」を捉えにかかるが、これがはかどらない。デカルト自身がその追究を免れているのである。ところが、「私には何かが見えると思われ……」とデカルトが言うその言葉の中に、著者は「私」を見出す。この具体的な気づきについては、直にこの戦いのリングに、乗り込んで確認して戴きたい。いまは何も、この本の解説をしようというのではないのだから。
 ここまででも、まだようやく本書の半ばである。「思考する」からすらもはや切り離された「私」についての問いが続き、そこから「他者」の存在へと世界が開かれていく。但し、デカルトが持ち出した様々な思考の道具を、一つひとつ尊重し、丁寧に思索のあとを辿ろうとするものだから、論考は遅々として進まない。もしも、これで他の哲学者の考えを持ち出そうとしたなら、おそらく収拾がつかなくなってしまうことだったろう。
 神については、デカルトの神の幾種類かの存在証明をも扱わねばならないことになる。だが、その存在証明は、実際不可能であるのだというところにもっていくまでにも、思索の旅は練り歩くように続けられる。この神を他者として、そこに触れていく語りというものに、私たちは気づかされる。まことに信仰的な言葉にもなりうるような展開であり、ここでもまた私は驚かされる。私と神とが、つながっていく。そこに関係ができる。ここについに、「祈り」と「愛する」をこととを持ち出し始める。哲学的思考を究めようとしたとき、私たち人間は、結局こういうところに足を踏み入れざるをえないのだろうか。
 論はここで終わるが、最後のところでまず、デカルトの生涯を紹介してくれている。文献というよりは、読書案内をしてくれるのは、親切だ。日本語で読みやすい本を紹介してくれているからだ。
 そんなに長い論述の本ではない。だが哲学的思考というものを、なかなか楽しく展開し、導いてくれる。急がずに、じっくり頁をめくっていってはどうだろうか。一つひとつの言葉の意味に戸惑うかもしれないが、日常の用語でもなく、特別な意味をそこに含んだままに用いられているから、やはりデカルト哲学の用語には、いくらかでもなじんでからお読みになることをお薦めする。共に、深い意味での「自分探し」のアドベンチャーに出てみようではないか。




Takapan
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