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『キリスト教の幼年期』

ホンとの本

『キリスト教の幼年期』
エチエンヌ・トロクメ
加藤隆訳
ちくま学芸文庫
\1300+
2021.8.

 まず気をつけて戴きたいのは、本書が単行本の文庫化であるということと、かつての書名がこれとは異なっているということである。別の本と思って買ったら題名を変えたものだった、ということが起こりうるということである。私はそのようにして同じ本を別の名前でまた買ったという経験があるから、ほかの方もありうるのではないかと心配する。予めどこかでその説明をしている場合もあるが、なかなか大々的にはやらないので、このやり方は売る方の道徳として、やめて戴けないかと切に思う。そのかつての書名は『キリスト教の揺籃期』であり、1998年に出版されている。しかも他社であるから、まさかこれが同じ本だとは、よほど注意をしていないと分からない。いや、他社であるからこそ、とにかくこっちを買ってほしいという心理なのだろうと思う。これは防ぐことはできないのだろうか。
 トロクメはフランスの神学者。2002年に77歳で亡くなっている。訳者はその弟子である。博士論文を書かせてもらい、それを直ちに出版するところまで連れて行ってもらっている。こうした事情は、訳者のあとがきにたんまり書かれている。特に、この師との豊かな交流については、他で述べることもないであろうから、ここでたっぷりと綴られている。案外それも悪くない。ただ、そこには学会の中でこそ知るとんでもないことも暴露されている。西洋人たちが、世界は西洋だけからできているように思い込んでいること、かのモルトマン先生にしても、日本について知識がなく、その知識がないことを覚られまいとごまかすようなところがありありと見えて悲しかったことなどの事情が、そこでぴりりと批判されていた。
 さて、本書は初期キリスト教の成立に関する細かな事情を、一般の読者向けに易しく書いたものである。これも「あとがき」にあったのだが、フランスには、こうした辺りの本が出ていなかったそうである。そのため、これが出たとき、大いに売れたそうだ。決して楽しい調子で書かれたものでもないし、内容はいたって真面目なものである。優れた教養書と呼ぶにしては、あまりに新約聖書学として立ち入りすぎている。よくぞ読まれたものである。
 キリスト教の成立という意味では、いつどのように成立したのか、考えてみれば不思議であり、よく分からない。教会といま呼んでいる共同体があったことは確実である。その中ではどこでも同じようではなく、ヤコブまたはペトロが指導する中心的役割を果たしたグループもあったし、パウロが各地に建てた教会もある。そこでは異邦人宣教がなされたことになっているが、現地のユダヤ人が支えになっていたとも見なしうるであろう。ヨハネのグループもこれらとはまた少し違った形で、しかしなにはともあれ同じキリストの弟子たちのグループとして存立していたことであろう。その周辺においても、エッセネ派がどうであったのか、マルキオン派も熱心に聖書を集めたことで知られているが、まとまりという意味では非常に心許ないものであった。ユダヤ教との関係もあり、ローマを前にしては、ユダヤ教の一部だという認識であった時期が続いた中で、やがてユダヤ教とは別ものだというふうに見なされるようにもなっていく。その都度、教会に属するキリストの弟子たちの意識は、違っていたことだろう。こうした辺りの事情について、本書は文献資料を頼りに、だが時に大胆な想像も交えるようにしながら、読者に説得力ある説明を投げかける。
 やはり新約聖書と呼ばれる文書が編まれてから、自分たちはキリスト教なのだという気持ちに近いものが生まれたようにも思える。が、そのときにはまだ聖書という概念すらなかったであろう。人間心理、信仰者の思想というものは、どういうものであるか複雑である。
 本書は、イエスが地上生活を送っていた時代から、その時代の空気を感じることができるように案内してくれる。しかしできるだけ早く、初代教会の姿を描くようになり、ヘレニストたちの立場という者を明確にするように動き始める。フィリポとエチオピアの宦官との出会いは、いまの私たちには非常に魅力的なエピソードであるし、さして不思議なことだとも思わないままに受け容れているふしがあるが、考えてみれば、イエスを苦難の僕になぞらえる信仰は、ここでしか描かれていない。フィリポの動きは軽いが、これが元来の中央教会で歓迎されていたようには思えない。これはユダヤ的な解釈ではない。いったい、イエスの苦難がユダヤ的でないとしたら、どういうことになるのだろうか。彼らが「キリスト者(クリスチャン)」と呼ばれるようになったのは、アンティオキアであるが、ここもまたヘレニストの地盤であったはずである。キリスト教の成立には、ヘレニストたちがその舞台をつくっていたのであろうか。
 読みやすいけれども、まるで物語を読んでいるかのようにすいすいと流れていく読書の時間が、豊富な知識を背景にしていることをいつしか忘れさせ、心地よい聖書の背景の説明に心を許していく。
 パウロと本部との対立やその関係についても、私たちは関心を懐くものである。決して関係がよいものでなかったことは、少しだけ使徒言行録を読み込めば、多くの人には伝わってくる。私たちの救いというものは、いまは多くの場面でパウロの指摘に基づいているように見受けられるが、エルサレム教会は、必ずしもパウロのような救いの姿を教えていたわけではなかったであろう。聖書では、誰が何を言ったという記録が多いのでそれに惑わされるが、よくよく見ていくと、誰が何を「言わなかったか」というところに、背景を知るヒントがたくさんありそうである。そうした読み方もいろいろ教えてもらえるのが、こうした一般向けの聖書解説書を読むときの楽しみでもある。
 そのパウロが、テトスに対しては割礼を受けることを拒み、テモテについてはあっさり割礼を受けさせているという対比もよく問題になる。パウロは必ずしも原理主義者ではないのだろう。後の教会がこれら二人を牧会書簡の主役に抜擢したものだから、この対比は考えてみれば大きな問題ともなりうるのであったが、本書では、異邦人ではなく、見た目からしてもユダヤ人であるテモテの場合は、当時ユダヤ教の一部であるかのようにして伝道活動をしているとき、割礼なしには危険ですらあったといような事情が解説されている。当時その状況で、そこにいた人の立場を十分考慮するという、あたりまえのことを、私たちはいつしか忘れ、教義として聖書を文字そのものにこだわりすぎていたのかもしれない。
 著者はこのパウロの晩年について、非常に暗いものを想定して説明している。そのとき、キリスト教は将来のないもののようであった、というのである。確かにこのころにペトロも殉教したようである。教会の存立が危ぶまれた時期であった。現代の私たちもまた、過去の栄光に縋るのではなく、いまの危機を正面から見据える態度が必要なようである。
 考えてみれば、この時期に、福音書が生まれている。福音書という形式を、ともすれば伝道的な意義だとか、伝記的な意味だとかして、現代の立場から考えることはよくあるのだが、当時その環境でどうして書かなければならなかったのか、その角度から、その文化と時代の中でこそ、私たちは探っていかなければならないのではないか。
 彼らはついに、シナゴーグとは決定的な決別をしなければならないようになる。ユダヤ教と袂を分かつ時がやってくる。こうして一世紀が終わり、次の世紀になる中で、様々な文書が形成される。もはやユダヤ教ではない。この自覚が、キリスト教会を強くした。こうして、幼年期がこの辺りで過ぎ去ろうとしていく。
 物語を読んでいくようなわくわくした気持ちを生んでくれた本であった。それも学問的な裏打ちがあるからこその説得力だったのであろう。教会がかなり人間的な考えや動きからばかり説明されているようにも見受けられるが、この眼差しも必要である。経験を書いた空理空論で理想のままに思い描けばよいということはないはずである。もしそうすると、聖書は現実とのつながりを書いた、ありふれたそこらの宗教思想と何も変わらないものになってしまう。人間が書いた。人間の心理が執筆に関わった。ただ、人間だけが創作したのだ、としてしまうには余りに見事な神の物語である。人間だけのものだと理解したい人はそうすればよいが、そのときにも、聖書が聖書であるためのひとつの見事さのようなものがそこにはあることを、誰もが認めてよいのではないか、とも思う。人間くさい事情が満載の一冊のようであるが、ここからこそ、教えられて、神の計らいのすばらしさを感じるという読み方があるなら、どうぞと歓迎したいものである。いや、私自身が、そのような読み方をする張本人である。頼もしかった。




Takapan
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