本

『キリスト教の真実』

ホンとの本

『キリスト教の真実』
竹下節子
ちくま新書956
\924
2012.4.

 パリ在住の評論家。いくつか読みやすい本でキリスト教やその文化について解説をしてくれており、これまでもいくつか読ませて戴いた。このたび、新書という形で、より人々が手に取りやすい形で解説がなされ、キリスト教への興味が増しつつある今日、いくつかの誤解が解かれ、また未来の構築のために役立つことを願うばかりである。
 副題に「西洋近代をもたらした宗教思想」とある。確かにこれがこの本の根幹をなしている。内容は必ずしも平易ではない。何も聖書の内容を解説しようというわけではなく、これは「キリスト教」という文化と、それが政治に及ぼした影響、すなわち副題のとおりに「西洋近代」を形成するこの軸について、その背景や骨格を余すところなく伝えようとするものである。その意味では、タイトルの「真実」という言葉も強ち大袈裟ではないかもしれない。が、今挙げたように、これは聖書の内容について触れるものではなく、西洋文化の背景、ひとつのからくりを明かそうとするものである。「真実」という言葉がやや大上段に構えたものであるという批判は受けねばなるまい。やや商業主義の目的に沿わされたのではないかと感じる。
 むしろ、これは政治史であるとも言える。大きな動機あるいは基盤をなしているのは、政教分離という概念である。また、恐らく著者の中では、「自由と民主主義」について告げた第四章にベースがあるのではないかと私は感じた。
 本はまず、ヘレニズムとヘブライズムという、学校の教科書で学ぶ概念対立に疑問を呈するところから始まる。もっとキリスト教の果たした役割は大きい、というのである。従って、中世からルネサンスにおける教科書の叙述にも当然異議を唱えることになるわけで、中世が暗黒であることはないのだという。これは近年の思想界の理解の大きな流れでもある。そこにイスラムとの関わりが当然入ってくるのであるが、これも十分なページを用いて解いていると言える。表層的なイスラム文化の賞讃に終わらず、その背景の史実をいろいろな角度から語るのである。
 パリに拠点を置く著者である。フランスがこの本の中心にあることがよく伝わってくる。アメリカという国を完全に外から見ている。フランスは内部からその歴史や政治を見ているのが分かる。そこにある政教分離の原則の成立と、フランスにおけるそのあり方、そしてアメリカとの違いなどが、明解に綴られていく。その意味では小気味よい感覚を味わいつつ読み進めることができる。
 ただ、著者自身の信仰的立場も加わるので、次の点だけは読者も踏まえておいたほうがよい。つまり、カトリック教会の肯定と弁護である。先にいくつかの基盤なる概念を取り上げたが、さらに根底にこの本の中に流れているのは、「普遍」という概念である。この本の内容を一言でもし述べることが許されるならば、「普遍」である。「普遍主義」なるものが人間社会の進歩に必要であり、その中にこそ、近代理念なる自由や民主主義や政教分離があると言い、普遍性を有しているかぎりそれらは有効なのだと言うのだ。これは「あとがき」の最後にまとめている点からも、筆者の主張したい内容であることは間違いない。そして、「普遍」の意味を持つ語が、「カトリック」なのだ。カトリック教会が歴史で演じてきたことを基本的に弁護する側に立ち、一般に言われるよりは遙かにプロテスタント教会に対して厳しい言葉をぶつけ続ける叙述が目立つ。抵抗したプロテスタントは、普遍なるカトリックからの逸脱だと言わんばかりであるし、これに対する自らの反宗教改革によりカトリックは普遍性を保ち続け、近代を支え続けたのだという論調が印象に残る。
 そこには、聖書信仰というプロテスタントの主張が霞んで見えてくるほどの強さが伴っている。聖書にこだわることもなく、聖書中心でもなく、どこか俗世や民間習俗を泳がせながら普遍を保持していくカトリックの支配が、近代を成り立たせていくというような捉え方に終始しており、聖書が何を語っているか、などという視点は微塵も持ち合わせていない。
 本の終わりのほうでは、キリスト教とは関係なく、ジャスミン革命などを取り上げている。その他戦争と正義の問題にも触れているが、このキリスト教と正義の問題については、日本人にありがちな一神教批判をまともに受けて反論するというのでなく、それはばからしいというように一蹴している観がある。西洋近代を、二千年来の思想、カトリック教会が築きたゆまず伝えてきたこの地上の支配と思想からすれば、日本人が明治期以来輸入した上っ面の理解など、あたかもリンゴの皮だけを舐めて、リンゴの味は苦いなどとほざいているに等しいようなものなのだ。
 こうした言い方は、読む側からすれば、確かに面白い。また、もちろんそこに虚偽が満ちているというものでもない。むしろ、国際理解というものは、こうした視点を欠いていてはできるはずがないということもできる。その意味で、もはやキリスト教に関心がなかろうとも、国際世界に目を向ける人は一読して損はないどころか、大いに勉強になることだろう。思い切った解釈や述べ方もあるので、全面的に鵜呑みにしてよいかどうかは分からないが、これをまた無視するというのも、まずいような気がする。私も、カトリックの信仰というものがなかなか理解できないと思うことがあったが、この本を見て、少しそれが見えてきたような気がする。個人の魂の救いという点への関心とは違うその宗教理解は、今後の世界を見定めるにあたり、大いに参考になることだろう。聖書信仰に向かうのは偏りであり、カトリック内部で異端扱いをされてきたことも包み隠さず述べ、また、痛めつけられる神なるキリストの像をカトリックが見つめることの意味が語られているなど、面白く読ませて戴いたのは間違いないのである。




Takapan
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