本

『キリスト教学校を通して蒔かれた種』

ホンとの本

『キリスト教学校を通して蒔かれた種』
キリスト教学校教育懇談会編
ドン・ボスコ社
\300+
2014.6.

 小さな本である。文庫本サイズで、さらに文字が大きく、頁も浅い。すぐに読める。一日の通勤電車内で賄えた。それは読みやすいという意味でもある。
 だが、えてしてこのように短い時間で読み通せた本は、与える印象が大きく、影響力も大きいという場合がある。
 これはシリーズである。毎年出版されている。先に、『キリスト教学校が東日本大震災から学ぶこと』について触れたことがある。私の入手した二冊目がこの種の本である。
 今回、キリスト教学校教育懇談会が2013年に開いた公開講演会の模様が記録され、出版された。そのテーマが、この本のタイトルであった。
 ヴォーリズ夫人の生涯をたどった小説『負けんとき』が、種まきというテーマを掲げていた。このシンポジウムとの関係は特にないと思われるが、この会場が大阪であったことなど、何か発想の類似点を見るようで興味深い。
 講演は二人。宮城県知事の村井嘉浩氏と、NPO法人Homedoorの川口加奈さんである。二人とも大阪に縁があり、この場で語るに相応しい。
 知事はこの会場となった大阪明星学園の卒業生である。2011年の東日本大震災の現場で指揮を執り、復興にも努めてきた。そのときの生々しい報告がここでもなされている。ここにはキリスト教の種まきという点が大きく出されているわけではないが、小さな現場のひとつひとつのこと、またその背景で何が問題であったかということがよく語られている。自らの政治的な背景もいくらか語られ、若干自慢めいて聞こえない言葉がないこともないが、この場で必要な情報であっただろう。また、今宮城県が志していることを、過去の歴史と対比して告げるあたりも、政治を司る立場ならではの話であった。とくに、政治が全体のことを常に見据えていなければならないというあたり、改めて政治家の立場の苦しさのようなものも感じた。
 続く川口さんについては、以前メディアでその仕事を拝見したことがある。中学生のときに出会ったホームレス運動を真摯に受け止め、自ら工夫し、また交渉して行動に移していった。そのことが、自転車のシェアサイクルという事業に展開し、ホームレスの人々の職に関わるようになっていった。そのきっかけから事実を通じての気づき、そして心の変化などの告白が実に的確でよく伝わってくる。見事な講演だと感心した。これだけきちんと自分の歩みを説明できる人だからこそ、また自治体などとの交渉もできるのだろうと納得した。実際にホームレスの方々と交わり、そこから自分の考えが正されていくこと、また何をすればよいのかに悩み、教えられ、見出していく過程が手に取るように分かる。政治的な折衝にも長けていることが簡単に類推できるので、ほんとうに賜物ある人が用いられているものだと喜ばしく思った。
 最後にコーディネーターとしてアナウンサーの乾麻梨子さんとの鼎談となり、会場での質疑も収められている。まさにシンポジウムの実録という小冊子である。
 川口さんは、「ホームレス状態を生み出さない日本をめざして」という題の講演であった。ホームレスと呼ばれる人が悪いのではない。その人の存在をどうということではない。ここには「状態」とある。そういう状態は本人が悪いのだ、という素朴な周囲の偏見に染まりかけていた彼女が、そうではないことに気づき、改めようと立ち上がる。その過程の中で、この状態を生み出している政治を変えようと動く。自分で全部が変わるのではないが、自分のような動きが拡がれば確実に変わっていくことを確信する。そこに悲観はない。きっとできる、助ける人が起こされるという前提で歩き始める。
 強調されてはいないように見えたが、「ホームレス」は家がないことではなく、心の拠り所、安心できる場所がないという意味にも受け取れる。互いに認め合い、受け容れ合える場が欠けているという背景がある。そこに、ホームレス状態というものが存在する。これを取り払うのは、人の心のフィルターの問題である場合もある。そしてもちろん、実際に生活していけるように、食べていけるようになっていくための共生の社会が実現できるように、という現実的な動きが必要である。
 考えさせられた。動かされた。賜物ある人が、このレポートに触れて、才覚を発揮していく社会が望ましい。もちろん、才覚のない私も、何らかの形で支援していくことには吝かではない。




Takapan
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