本

『こどもサピエンス史』

ホンとの本

『こどもサピエンス史』
ベングト=エリック・エングホルム
ヨンナ・ビョルンシェーナ絵
久山葉子訳
NHK出版
\1800+
2021.7.

 痛い本である。実に厳しい。だがこどもたちへの呼びかけは力強く、希望に溢れている。希望は、やたら明るいだけの希望ではない。弱さや悪いところを十分自覚しているからこそ、希望を抱くのである。
 サブタイトルは「生命の始まりからAIまで」ときて、まことに最新の情報が組み込まれている。ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』に触発されて、こども向けにぜひつくろうと思い立ったのであるらしい。
 小学校中学年くらいからは自由に読めるように、ふりがなが振ってある。また、日本語訳もそのような口調で語りかけている。一部、日本向けの記事内容を加えることを、著者に申し入れて許可を得ているらしい。殆どないが、ちらりと加えてあるようだ。
 まず、地球の誕生から現代までを一年として換算するカレンダーを提示する。生命らしいものが発生したのは2月というから、けっこう古い。だが、そこから11月下旬辺りまでは、バクテリアの繁栄期である。ホモ・サピエンスの登場は12月31日の23:56なのだという。この比較は子どもならずともショッキングである。私たちの知る歴史など、地球規模で捉えたら無視できるほどの時間でしかない。だが、この2000年を考えても、恐ろしく地球は変化している。人間がその知恵をもって、変化させている。それも、1000年からの500年はそれほど大きな変化のない人類の生活と文化であったのが、その後の500年では驚異的に変わっている。文明も人口もそうだし、環境危機については深刻である。
 本書は、そうした問題意識を根柢に置きながら、人類史を描く。事件史を羅列するのではない。世界史など、為政者の名前を並べるようなものだ。そうではなく、名もなくその為政者たちを支えた無数の庶民のことを考えるという、当たり前だが歴史書としては画期的な提言の中で、人はこういう時にこうする、というふうに説明を進めていく。実にユニークである。もちろん、私は大好きな見方であるし、常々そのような形で歴史を語ることをしてみたいとも考えていたので、私はまるでここで期待された「こども」そのものであったのではないかと喜んでいる。
 200頁余りの中で、50頁を過ぎてもなお、ホモ・サピエンスの出現の辺りなのだが、そこで神が登場する。本書は、宗教という問題を大きく取り上げている。そして一般的に、その宗教によろしくない部分があるという見方が取られている。必ずしもフェアではないかもしれないと思いつつも、指摘していることについては逆らいようがないほど歴然としたことである。だから、最初にこれは痛い本である、と私は言ったのだ。
 その宗教心が現れた契機なども、こどもに向けて分かりやすく物語っている。同時に、言葉や経済の発生についても、もちろん一つの説に過ぎないのであろうが、定説と思われているようなものとして淡々と語られる。かつての文化がいまのそれとは違うことも、きちんと押さえているので、これを読むこどもは、ずいぶん頭が柔らかくなるだろうと思うし、健全な精神をもつのではないかと期待できる。
 農耕をテーマにして、集団が生まれ文化が発生する様子も物語られるのだが、そこで古代から、宗教がそこに絡んでいることを暴く。そもそもそれは、自然が世界を支配しているはずなのに、人間自身が支配しているように思い込んだのだ、という解釈は、宗教を批判しているように見えはするが、それは聖書の基本的スタンスであると私は理解している。ひとは今でも、聖書を片手に、自分を神とすることができるのだ。
 決して紀伝体ではない。人間の歴史の中で登場したものが、どうして生まれたか、それを考えようとしているし、説明しようとしている。こどもにはこのような物語での説明が有効だ。同時に大人にとっても、これは心地よい。
 神の名のもとに正義を自称し、人を殺すことも、他の文明を滅ぼすことも、正しいことにしてしまう、それが人類の歴史ではなかったか。西洋文明が力強く世界の歴史を築いてきたとするならば、まさにキリスト教がそれをしてきたと言わなければならない。いまイスラムの国の中に酷いところがある、という宣伝が、いわゆる先進国には信じられるように動いているが、そうなのだろうか。これまでキリスト教がしてきたことは、そんな比ではないはずである。本書はそのような点をも隠すことはなく、淡々と述べていく。
 宗教の支配から逃れるのに役立ったのが、科学革命であった。だが、その科学でさえ、現代の危機を招いている。また、科学は経済を支援しながら、この現代を形作ってきた。実に具体的に、だが抽象的にならないように配慮しながら、こうした点を見せつけている。本当に、心が痛む。これまでホモ・サピエンスは、こんな世界を創ってきてしまったのだ。
 あらゆる人間の営みに触れながら、いま最先端のAIに期待できることも考えつつ、それで満たされるはずのない人間というものの思考にこそ期待を寄せる。知恵を集めることができるはずだ。対話により、協力が生まれ、乗り越えていくことができるはずだ、とこどもたちに未来への希望を提供する。環境破壊も気候変動も、戦争も貧困も、そしてパンデミックも、絶望するに当たらない。知恵を生み出せるはずなのだから。
 キリスト教信徒は敬虔で、真善美を願い、愛に生きるのだ、などという幻想に自ら酔い痴れているキリスト者はいないだろうか。私は全くそんなことは考えない。地球上で最も罪深い歴史をつくり、世界をずたずたにしてしまったのがキリスト教なのだ。私はかつてそんな宗教を憎んだ。なんとかそれを破壊したいとさえ考えた。だがいま私は神に呼ばれ、そのキリスト教の中にある。だからそこで何をするか、神に期待されていると思うのだ。
 キリスト者に、本書をぜひ読んでほしい。善人と思われているような幻想に自己愛を感じている人に、客観的にこのキリスト教というものを知ってほしい。むしろそんな教義に関係なく、希望をこどもたちに与えようと努める本書のような営みの中に、愛を見つけてほしい。教会組織を形作る私たちの中には、いまそんなものは全くないのだ。そのことに気づくために。




Takapan
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