本

『キリスト教倫理入門』

ホンとの本

『キリスト教倫理入門』
小田島嘉久
ヨルダン社
\1900+
1988.12.

 教科書だと思う。大学の講義内容を予め本にしておけば、学生も講義や試験に対してヒントがつかめることだろう。出費がかかるのはあるが、一つの方法である。中は文字だけで、イラストも図解もないが、それは喋る講義ノートをそのまままとめているということを思わせる。もちろん整理し、書くにあたり適切に修正を施していることになるだろうが、概して講義ノートとなると、聞いてそのまま理解できる内容であるから、一読して分かるようになっているものと思われる。この場合もたぶんそうだろうと思う。
 キリスト教倫理であるから、キリスト教や聖書にまつわるものとしてまとめられている。それでよいのだが、もしかするともう少し広い視野から、キリスト教自体を外から眺めるような視点が提供されてもよかったようにも思うが、それは講義の方針でもあるだろうから、咎めるような必要はない。
 青山学院女子短期大学でのキリスト教学の講義を担当しているから、二年生相手にこの内容を話してきたのだという。キリスト教についてへたをすると何も知らないという女子短大生を相手に話すのだから、専門的なことを並べるわけにもゆかない。神学者を次から次へと登場させるのもよくないだろう。聖書の単語は必要だし、聖書の思想を伝える必要はあるが、できるだけ日常に見聞きする問題や生活からのアプローチが望ましいような気がする。しかし、内容は思いのほか、頑としていた。つまり正統的な事柄をかなり広く深く取り扱っているのだ。哲学や歴史にも基礎的な知識がないと務まらない。短大生は、もしこれがそのまま授業で語られ試験が行われたら、苦労したのではないかと思われる。
 さて、こうした背景であるだけに、何か自説を著者が展開しようと意気込んだり、一般的に言われていることをおとなしく告げるばかりでなく、奇を衒うというほどではないにしろ、思い切った発言があったりしても然るべきではないかという気がするのであるが、そのようなことはなく、淡々と常識的な、おとなしい解説をずっと施すのであった。そこまでよい子のキリスト教理解と倫理観でよいのだろうか、と途中から心配になったが、ついに著者は最後までそのよい子の倫理を押し通した。これはこれで見事である。
 ここに書かれてある内容はほぼ把握していたつもりであるし、また素直な信仰生活を送る上で、これは基本ベースだろうと思われる論旨が展開するばかりで、本当におとなしくよい子でいるための倫理であることは確かであった。聖書の理解についても、学問的に最先端はまた少し違うのではと思わせるような、少し前の模範的な書きぶりで、いまここからキリスト教学を深めていくためには不満が残るような記述であったかもしれないが、初めてキリスト教に触れる学生のためには、おそらくこれがベストであろう。あまりに小ぎれいな生き方で現実の生き方の問題で悩む女子短大生の心をどこまで掴むことができたのかは分からないが、案外これほどに真っ直ぐに断言してしまうことを、学生は好むかもしれない。世の学生が誰も私のように、ひねくれた別の視点を求めて思索しているわけではないのである。
 終わりのほうで、実際的な適用が図られている。自殺や結婚、労働といった話題が大きく取り上げられているのは、なるほど、短大での授業であることを思えば納得である。まさにそこにこそ学生は関心があったかもしれない。巻末であり、恐らく年間計画の中で割り当てられていて間に合わないということはなかったであろうが、そこへ行くまでにキリスト中心で物事を考える思考法が馴染んでいたかどうか、そこが理解の鍵となっていたかもしれない。こういう講義が聴けるキャンパス生活というのは、もはや手の届かないほど遠いところに行ってしまったが、やはりそれは良い学びの時だったのだろうという気がする。いまの学生たちは、その時を大切にして、深くゆっくりと考える時間をもってほしいものである。




Takapan
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