本

『コルトレーン』

ホンとの本

『コルトレーン』
藤岡靖洋
岩波新書1303
\800+
2011.3.

 名前くらいしかよく知らなかったが、息子が大学でジャズを学んでいるとなると、少し知りたくもなる。ジョン・コルトレーン。副題に「ジャズの殉教者」とあるが、このことが分かるのは最後の最後になるだろう。著者の思い入れがそこにあるように窺える。
 著者は呉服商。しかし、半世紀ほど追いかけた結果、コルトレーン研究家という肩書きももっているという。世界的にその研究は知られており、コルトレーンについてのテレビ番組制作のために国内外で駆り出されるらしい。
 それが新書という形で、私のように何も知らないような読者を相手に、簡潔にまとめなければならないとなると、大変な苦労があっただろう。だが、私にもその魅力が十分伝わっている。生き生きと、ジョン・コルトレーンの姿が浮かんできた。
 なにしろ音楽家である。ジャズの曲をただ並べられても、分からない者には何も分からない。それでも伝えるというその人物像は、困難を窮めると思われるが、さすがそこは生涯をかけた研究家である。お見事だと言うほかない。
 私は、アレクサと呼ぶスマートスピーカーが横にいるため、家で読んだときには、登場した曲を随時鳴らしながら味わった。大抵は電車の中だったので、後から聞くことになったのではあるが。
 本の初めは、1966年日本公演のエピソードである。その舞台裏から着目点などがぶつけられる。これは日本の読者にとり、やはりよい導入だったかもしれない。その次に生い立ちに入る。ハイスクールにできたスクールバンドに加わったことが、そのスタートである。1940年代、ビッグバンドの流行から、ジャズに魅入られた。が、家庭は相次ぎ不幸に見舞われるが、牧師の祖父を通じて与えられた信仰で乗り越え、音楽に熱中していく。
 あいにく、黒人差別の厳しい時代である。ありがちな「ワル」も経験する。卒業後、フィラデルフィアの工場で働きながら、音楽学校で学ぶ。こうしてバンド活動へと導かれるのである。
 テナー・サックスを中心として、他のサックスも吹く。そのジャズにおける功績については、素人の私がここに並べても仕方がない。本書をご覧下さい、というほかない。
 とくに彼を取り巻く女性についても、著者は厳しく、また愛情をもって描いている。結局分かれることになる女性とも、よい関係は続いていく。音楽的には次の女性の支えが大きかった。その他、子を認知して育てるなど、数人の女性が取り巻いていた。その生活の様子も本書は生き生きと描き出す。
 音楽的にも、マイルス・デイヴィスに見出されて少し有名になり、セロニアス・モンクに大いに教わることで、音楽的に羽ばたいていく。
 日本でのインタビューで、尊敬するミュージシャンを尋ねられ、コルトレーンは、ラヴィ・シャンカル、オーネット・コールマン、カルロス・サルゼードの三人の名を挙げる。これが最初に紹介されるが、このことが結びに再び現れるので、気にしておくとよい。シャンカルは、ノラ・ジョーンズの父であり、ピートルズにも影響を与えた。ジョージ・ハリスンがインド音楽に傾倒していったことは有名である。
 1926年から1967年までを駆け抜けた人生の中で、黒人差別の悲しい時代を生きた。1963年にアラバマのバプテスト教会で起きた版は事件で黒人少女たちが死ぬ。全世界を震撼させた事件であったそうだが、半世紀を経て私などは、こうしたことについてあまりにも無知であった。恥ずかしい。これに対して音楽で黒人ミュージシャンは応える。まさにその名の通りの「アラバマ」という名曲が生まれる。
 世間から理解されない時代が続き、また喝采を浴びるようになってからも、賛否両論飛び交う評価であった。だが、決してその生活が、敬虔なクリスチャンのようではなくとも、そのもてる信仰が燃えるままに組曲としてつくりあげた「至上の愛」は、祖父の影響を必ずや受けていることだろう。祖父はメソジストの教会の牧師であったが、コルトレーンはこの作品の前に、会衆派教会の牧師との信仰の話に夢中になっている。このときの妻の記録によると、「彼の様子はまるでモーゼがシナイ山から十戒を携えて降りてきたようで、素晴らしい者でした」という。コルトレーンは、音楽の録音に満足し、「神の授かりものだよ」と喜んでいたという。これはジャズの金字塔となる作品となったという。
 コルトレーンは、アフリカの血をもつことに重荷を負い、黒人のための音楽や芸術の場を実現しようと模索する。ところが、病魔が彼の行く手を阻んだ。突然のことだったという。音楽をよく理解し才能のあったこの最後の妻は、遺されたレコーディング・テープをよく編集し、彼の遺志を世に顕していく。「音楽が世界を変える」と信じていたコルトレーンの心を伝えていく。彼は、「聖者になりたい」と口にし、平和を求めていた。「神の愛」を音楽で伝えたいと願っていた。その使命に、彼は殉じたのだ、と著者は評する。
 なるほど、コルトレーンは、確かに神に愛されていたに違いないと私は思う。またひとつ、アレクサに頼む音楽が増えたようだ。




Takapan
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