本

『キリスト教入門』

ホンとの本

『キリスト教入門』
矢内原忠雄
中公文庫
\680
2012.4.

 キリスト教世界では非常に有名なのだが、一般ではどうであろう。東大の総長をも務めた、矢内原忠雄氏。キリスト者であり、その信仰は、日本の無教会主義であった。
 編集付記によると、最初の刊行は1952年。それに「イエスの生涯」という部分を付け加えて収録されたのが1968年。息の長い本である。それがこのたび、文庫で読めるようになった。まことにありがたい計らいである。かつて角川のシリーズに入っていたのであるが、今回は中央公論新社が出版している。
 名著と名高いと聞くが、はたして、実に的確に言葉が選ばれ、また学生に語るように丁寧に語られている。文語調の聖句も響きが美しいが、古くさい印象はない。
 神学的には、たしかに少し以前の福音的理解といえ、その後の研究でいろいろな問題が検討されていることについては当然関与できないし、当時の学説や理解というものにとどまっていることもやむを得ないと言える。だが、福音の理解が歪んでいるとは思えない。奇を衒うように自由な解釈を入れるということもなく、至って誠実に、紳士的に、福音が説かれてあると見てよいだろう。
 人生を真摯に問う学生との対話から明けるこの入門書は、今の学生にははたして読めるだろうか。当時の学生ならば、こうした形の入門は非常に分かりやすかったのではないかと私は想像する。学生は勉学に励み、難解な用語を使うことこそ学生のステータスであった。まさに、それは門に入ることなのであった。人生の「道」をそこにたずねるという形になっていたはずだ。まさにキリスト教という名もなかった新約時代、これはキリストの「道」と呼ばれていたことが分かっているが、それと動揺である。まさに「入門」というタイトルは、内容に相応しいものなのであった。
 学生が学ぶというあり方について、キリスト教は他の学問とどのように違うかが滔々と説かれる。信じるというのはどういうことか、戸惑いながらも、読み進めば、矢内原先生の笑顔が見えてくるようで、学生にそういう態度を期待しているのではないかと思われる。
 私の目から見れば、実に簡潔に手際よく、キリスト教のことがまとめ上げられている。このようにコンパクトにまとめるというのは、よほど内容を知り、また内容を伝えようという情熱も加わらなければ、いくら才能があったからとて、できるはずがない。
 ただ、無教会の内村鑑三の弟子として、その無教会の説明も施す必要があった。内村鑑三がそうだったが、教会組織というものにえらく攻撃的で、日本とイエスを愛することの仲に、教会組織ではだめだ、という姿勢が無教会であるかのように受け止められている側面がある。だが、矢内原先生は違う。教会に行くのもいい、というのだ。それは人の決めることではないのだ、と。その寛容な姿勢は、生来のものでもあったかもしれないが、教育者として、学生をどう導くのかを常に考え、求め、祈っていたであろうことから、現れるようになったのではないか、と推測してしまう。
 その他、聖書についてのひととおりの簡潔な説明と、イエスの生涯を福音書をあちこちつなぎつつ、全うするのであるから、これはやはりなかなかできるものではない。神学的知識に加えて、聖書そのもの、あるいはまたイエスの生涯の辿り直しまで守備範囲は広い。しかしだからこそ、真面目に道を求める若者については、適切な道案内になっているのだろう。あるいは、かつての若者として、ベテランの方々も、これは心にしみ入るキリスト教入門であるのではないだろうか。




Takapan
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