本

『キリスト教音楽への招待』

ホンとの本

『キリスト教音楽への招待』
佐々木しのぶ・佐々木悠
教文館
\1890
2012.5.

 教会音楽というと、自分の出ている礼拝におけるそれが標準となってしまうのが通常である。自分が心地よく慣れてしまったものが、世界の常識であると思うようになりがちなのである。しかし、そんなことはない。今は少なくなったが、オルガン以外は礼拝に相応しくない、と主張する牧師さんもいた。もしそれが真実なら、初期の教会から千年間ほどは礼拝をしていなかったことにもなりかねない。だが、いったい教会にオルガンが取り入れられたのはいつごろのことか、となると、そのあたりに資料が転がっているわけではない。
 この本によると、それは10世紀以降だと記されている。いくつかの専門用語が、詳しい解説抜きに並べられて述べられているので、疎い私にはいろいろ不明な面があるのだが、歴史的な図版も多く紹介され、見ているだけでも納得できる部分はたくさんある。教会にオルガンが多くなるのと、13世紀ないし15世紀を待つことになるともいうので、このオルガンという常識は、ごく最近のものに過ぎないことが分かる。それも、技術の革新や演奏方法の改善などにより、取り入れられてきたものらしい。
 しかも、バッハの後、オルガンは音楽史の表舞台から姿を消す。音を大きくしたり小さくしたりする演奏ができなかったせいもあるという。ピアノフォルテという名からスタートしたピアノのほうに、音楽の主役が奪われていくのである。オルガニストでもあったシュヴァイツァーによりオルガンが復権するが、それはバッハに戻ろうとするものであった。教会音楽というときに、やはりバッハは偉大であった。
 この本は、さして厚いものではない。正確に記されているはずだが、高度に専門的すぎず、かといって曖昧にされてはいない。もし読者がさらに調べようとすればいくらでも調べられるように配慮してある。すなわち、教科書的なあり方をしていると言える。そして、ヨーロッパの教会音楽に絞られている。しかし事実上、現代の私たちの教会音楽というものは、それに支えられており、歴史もそこに訪ねることができるものばかりである。さしあたり私たちのニーズに応えるものとして十分であろう。まさに、「教会音楽を学ぶためのテキスト」なのである。
 しかし、録音の手段がなかった歴史的なものにおいては、どんな音楽であったのか、事実を確認することは不可能である。福音書などの中にも、歌を歌っていたという記録があり、またパウロが牢内で歌っていたとも記されている。そもそも、詩篇自体が歌の歌詞であったことも確実だとすれば、私たちが今や知りえない音楽がそこにあったのである。もしかすると、聖書そのものも、あたかも平家物語のように、曲に載せて歌われていたのではないか、とも考えられるのではないかと思われる。
 聖書の文そのものは、恐ろしく保守的であり、とくにユダヤ人による旧約聖書の記録というものは、ミスなきよう徹底的に注意し管理される中で写本がつくられている。このことと、文字なるものが万人のものではなかった背景とを考えるとき、そのような想像も故無きことではないと分かる。
 ともかく、私たちはふだんあまりにもものを知らずに、自分を基準として憶測を飛ばしていることが多い。せめて一定の基本を押さえた上で議論したいものだし、またその基本から学ぶ姿勢を持ちたいものである。教会音楽についての知識はあまりにも多岐にわたり、様々な説もあり、事が煩瑣になりがちでもあるとすれば、こうしたテキストブック的なまとまりのものは貴重である。多くの脚注を気にせず読めば、概略を掴むことにさして労は要らない。これから教会音楽を改善していこうとする立場にある方々には、ひととおりの学びをするためにも手にしておきたい一冊であると言えるだろう。




Takapan
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