本

『キリストに出会う』

ホンとの本

『キリストに出会う』
渡辺正雄
丸善ライブラリー
\680+
1994.12.

 キリスト教と科学の問題に詳しい著者であるが、今回は科学色なしで、純粋に信仰の王道を語ってくれした。「出会う」とタイトルにある通り、一貫してこれを強調している。福音書に登場するキャラクターは、それぞれイエスと出会っている。イエスに関わらない人は誰一人登場しない。どのような出会い方であるか、は人それぞれだが、イエスとの関係を結ぶことができた人と、結べなかった人とがいる。また、イエスに向けて関係を築こうと迫った人もいるし、その中にも、関係ができた人と、できなかった人とがいる。イエスのほうから、近づいてきたというケースも多い。このようにして見ると、キリストに「出会う」というキーワードは、福音書の必需の条件であったことになる。
 もちろん、信じるという点は重要である。しかし、信じるにしても、まずは出会わなければならないという。理屈が通っている。だから、私たちは、その場面に関わり、そこに登場するという読み方をしなければならない。著者は予めそのように読者に求める。
 これは実に当たり前のことであるのだが、正面切って読者にそれを要求する本があっただろうかと思う。キリスト教の本を世に送る著者は、心でそれを願い、祈りをこめながら、本を送っていることが多いのだが、本書では明確にそのことを説明している。ただ、著者自身がこのようにしてほしいというようなお願いをしているわけではない。このような読み方をすると、キリストに出会うのだ、と述べるだけである。この姿勢は、見習う必要があると思った。
 人物をピックアップして、18の物語に分けてある。どこからでも読めるようになっているが、イエスの生涯の順序を意識して並べてあるので、できるならば最初から読んでいくことが望ましい。
 一つひとつ、よく練られ考えられた内容で、それぞれが福音メッセージになっている。独立した小説教として見るのもいい。できれば、これを読み上げて語るというのもいい。グループでの集まりにもいいし、なんだったら、無牧の教会の礼拝で味わうのもいいのではないか。実際、そうした教会はいまたくさんあるし、礼拝のときには、聖書本文をただ輪読するだけ、というような方法も取られていることがあるという。信徒が説教するのであればそれはそれで素晴らしいが、毎週ということに負担が生じるし、質的な問題もありうることだろう。その点、一定の水準を満たした本は世に多々ある。有名な牧師や伝道者の説教集もあるから、そこから読み上げるというのもいい。ただ、それに比してこうした新書は安価である。内容がよいのならば、このような形でひとつお薦めしたいものだと思う。
 キリストに出会ってほしい。著者の願いは、「あとがき」ではっきり示されている。そこには、十人ほどの集まりのための話のためにノートしたものがまとめられたものが本書であると記されている。なるほどと思う。だからこそ、一つひとつが何かしら生きた説教となっていたのだ。そこに具体的に語る相手がいて、顔や心が見える中で語る内容を考えるとき、実はその語りは非常に普遍的なものになる。自分の心象だけで決めた文章でなく、そこにいる人に向けて編まれた言葉には、命がある。
 送料別で1円という価格でも、本書は入手できる(2018年秋現在)。如何だろうか。




Takapan
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