本

『キリスト教概論』

ホンとの本

『キリスト教概論』
古川敬康
勁草書房
\2300+
2014.4.

 学生のため、キリスト教について何も知らない状態でも読めるように、との配慮から生まれたのだという。北九州の大学で教えておられ、また牧会などの経験もある著者である。教会教育という点からも、また一般教育という点からも、福音や聖書をどのように若い世代に知ってもらおうかという、一種の苦悩の中から誕生した本だといえよう。
 ともすれば、牧師の立場から、聖書の救いはこうだ、読んで救われなさい、というような心がありありと見えるような本がある。本音は、そこにあるというのはよく分かる。それに嘘はない。だが、それをまともにぶつけて、ミッションスクールの生徒が「はい」と動くかどうかはまた別である。あるいは高圧的な態度を感じ、その故に反発をするかもしれない。かといって、気を遣いすぎるというのも、逆効果となりかねない。万人に共通な方法などないのだから、なおさら難しいが、同じミッションでも、大学という場にあっては、やり方というものがある。学術的な叙述というものである。
 今日、世界との関わりをもつ仕事に就くとすれば、キリスト教について偏見や思い込み、また無知であることはできないであろう。だから、巷にはキリスト教についての教養書が一時なかなかのブームであった。どこかよその家を訪問するようであり、またたぶんにキリスト教美術といった側面から切り出していたそういう本とは異なり、本書はイラストひとつなく、ひたすら文章である。つまりは大学の講義でそのまま使える内容というものであるが、とっつきにくい印象は否めない。
 だが、本を開くと、いきなりユニークな書き方に気づく。キリスト教用語の解説一覧があるのだ。これは、教会に集う者からすれば見落としがちな点である。なにしろ、教会用語というものは、独特なのである。この点、八木谷涼子さんも指摘していたのだが、案外教会に行き慣れた者は、あまりに外部の者に分からない言葉を使っていることに、気づいていないのだ。それなのにそのまま伝道だと言ってその言葉を伝えようとするから、何を言っているのか分からないということになる。本書は、聖書で使われる言葉をまず、外国小説の登場人物一覧のように示す。これで全部分かるというものでもないだろうが、読者は何かあったらここに戻ることができる。親切な構成である。
 また、通り一遍のキリスト教の解説を予想していると、良い意味で裏切られる。本書の構成や叙述は、類書に見られない何かをもっているように感じられる。それはサブタイトルからも窺える。「新たなキリスト教の架け橋」という響きは、時代も土地も違う聖書の世界と、私たちとの関係を築くためにはどうすればよいか、という、著者の願いや祈りがこめられている。キリスト教に初めて接する学生にとり、これは簡単な内容ではないというのも実感するが、それでも、学問的に触れたいという場合には、なかなかの味わいがある。
 いや、私は思うが、これは教会に通う者こそ、改めて考えたい事柄の集大成であるようにも見える。この現代にあって、キリスト教はどんな意義をもっているのか。創世記にある人間の根本問題は何か。ありきたりの、よくある説明とは違うものがここに詰まっている。私は新鮮であった。そして、私の中にいろいろもやもやしていたものが、すっきりと語られているように思えた。聖書の一部の解釈や解説でなく、聖書を縦横に読み解くとき、私たちの時代に聖書がどのように語りかけ、また関わってくるのか、ということに思いを馳せることができると感じたのである。
 聖書信仰という点からは、時に逸脱する向きもあるとは言える。意味論的な解釈、とくにその文学的な解釈がメタファーの指摘により進められていく点は、そんなに簡単に比喩だとしてよいのかどうか、分からない点もあるように思われるが、論旨上さして議論や根拠を提示することなく、メタファーであるとして話を進めていく。だが、信仰を失うような道は用意されていない。個人として現代を生きる私たちにとり、聖書がどう導きとなりうるのか、そばに常に歩くイエスの姿に気づくように、読者は気づかされるのではないだろうか。こうして最後には、教会という場所に足が向かうような案内となっているが、それも無理強い感覚ではない。自然に、細やかな配慮を伴いつつ、学生を聖書に誘う。そしてイエスとの出会いを経験してもらおうとしているように見える。
 実存主義の時代の理解を踏まえた色がやや濃いような気がし、また、西南大学の重鎮の傘下にあるという立場も反映されている面が強いように感じられたが、一部の西南大学の動きのように先鋭的であるわけではないようだ。福音信仰の空気は十分に漂っている。これは、著者が宗教主任を務める、西南女学院大学の気風にも関係するであろう。さまざまな立場の人への配慮も踏まえつつ、だが著者なりの深い、工夫を凝らした渾身の一冊であるように見た。ありきたりのキリスト教入門に辟易している人には、きっとよい刺激を受ける一冊であろう。また、何かと挑戦を受ける本でもあるだろう。理を通すために言葉数が多いのは、学究的叙述の常である。大学という場での聖書へのアプローチとして、これはユニークな、そして安心できる内容ではないだろうか。
 タイトルが地味であるが、これはもっと話題性をもっていて然るべきはずである。必ずしも、キリスト教を知らない人だけのものであるはずがない。教会学校教師や、教会執事など、教育的・社会的に福音と関わっている立場にあれば、味わって戴いて損はないことを請け負うものである。




Takapan
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