本

『「キリスト教は初めて」という人のための本』

ホンとの本

『「キリスト教は初めて」という人のための本』
内田和彦
いのちのことば社
\525
1998.10.

 入門書というのは、読んでみたくなるものである。
 自分が詳しい問題についての入門書を見る快感は、多くの人にあるのではないか。なにせ、よく分かる。自分が知っている事柄の、基礎の基礎が書いてある。だから、そうだよね、わかるわかる、と余裕で見ていくことができる。自分の知らないことは殆どないのだ。まるで、小学校の教科書を見るかのように、上から目線で読むことができるのだ。自負心も満足させることだろう。
 では、キリスト教についてはどうか。確かにその傾向はある。しかし、知識としてはそうであっても、それを余裕で見下すことができるかどうかというと、実はそうではない。いや、ここで見下すような読み方をしている信徒は、実は危ない。基本的なところに改めて触れると、自分ができていないこと、自分の至らなさという程度のことではない、自分が根本的にダメであることが晒される気がしてくるのではないだろうか。
 その故に、キリスト教の入門書を見るというのは、勇気の要ることとなる。
 人に読んで戴きたい、そのような思いで、ひとつの薄い本を私は手にした。これはある人に渡すつもりである。しかし、渡す以上、自分でその内容を知らないわけにはゆかない。出版社な肩書き、それから書店でちらりと見た内容からして、適切なものであるとは直感しつつも、やはり全部見ておかなければならないと思い、目を通した。
 実に耳の痛い話もあった。自分はこんな基本的なことができていないじゃないか、いや、全く忘れている、反しているではないか、という落ち込みも覚えた。しかし、それは逆に、この本が、よいものであることを証明していることになるだろう、とも思った。
 副題にあるように、これは「ヨハネの福音書3章16節から」のメッセージである。そこに徹している。まずその「神」について、「世を愛された」ことについて、「ひとり子について」というように、一言一言にこだわり、説き明かしていく。そのたびに、キリストそのものへと深まっていく話題を感じることができる。もちろんこの後、「滅び」が語られ、「永遠のいのち」について触れ、最後に「御子を信じる者」へと読者を誘う。非常に優れた構成だ。
 ある程度は仕方がないが、キリスト教用語が混じるため、ほんとうに初めて聖書を今から読もうとする人にとって、分かりにくい部分があることは否めない。だが、そこそこの常識があるならば、抵抗は何もなく入っていけるような配慮が十分になされていると思う。これは「1st step series」と名づけられた、いのちのことば社の企画によるブックレットの一冊である。同じ著者が担当している。「教会」「祈り」「聖書」と並ぶ中でも、本当に初めての人を意識しているのが本書であるのかもしれない。これを、小聖書と呼ぶに相応しいヨハネの福音書の輝く一節に集中して説いたのは、適切であったと言えるだろう。いや、その語り口と内容こそ、その価値を決める。例示も必要だろうし、他の聖書箇所に触れることもあるべきだろう。そのバランスもよいし、とりあえずお勧めできる一冊となっているようにうかがえる。
 特に、結婚の比喩は面白いと私は感じた。相手を知らずに結婚することに意義があると思う人がいないように、信ずる心さえあれば鰯の頭でもよいのだ、というふうには考えたくはない、というような意味だった。日本的な信仰を頑として批判するのでは、むしろ逆効果でもあろうが、それへの疑念を抱くに相応しい品位ある触れ方であると言えるだろう。ただ、考えてみれば、ほんの何十年か前までは、相手を知らずに結婚することに意義があるというのが、この国でも常識のような面があったことを思うと、むしろ昔の女性の信仰というのは並々ならぬものであったということを改めて思わされたのも事実である。戦国時代の武将の娘もそうだし、天皇家もそうだっただろう。
 今の教会も女性が支えている面があり、それも、さもありなんと思える次第である。




Takapan
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