『ヴェーロチカ/六号室 チェーホフ傑作選』
チェーホフ
浦雅春訳
光文社古典新訳文庫
\1220+
2023.5.
19世紀後半を駆け抜けたロシアの作家・チェーホフ。長編小説全盛のロシア文学界で、短篇と劇作に才能を発揮した。「かもめ」や「ワーニャ伯父さん」といった名作戯曲より、少しばかり以前に位置する作品がここに収められている。以前とは言っても、チェーホフ自身44歳で没しているから、ほんの数年ではある。
短篇とはいっても、ここにあるものは「退屈な話」と「六号室」が文庫で120頁ほどと長く、他は30頁前後とそう長くない。
しかし1行目からぐっとひとの心に入り、掴みかかってくるのはさすがである。短篇でもあるから、すぐに場面とその世界に読者を導き入れるのではあろうが、やはり手際がよい。事態が呑み込めないということはない。
最初の「ヴェーロチカ」においては、下宿とでも言えばいいのか、仕事のために世話になっていた住まいを去る青年に、その家の娘が近づく。淡いロマンスの気配がしたのは、チェーホフに対して素人だった私の反応だ。結局、何も起こらない。心の内でもやもやしたものがあれこれと漂うのを、読者は楽しむしかないのかもしれない。また、何かがスカッと分かった、というふうにも思えない。けれども私にとっては、この作品が心に残った。
長いものとしての「退屈な話」は、62歳の教授の独り言が延々と続くものである。世に対する呟きのようなものである。自分の死を近くに感じ、自分とは何かと改めて問うことになるのだが、果たしてその答えは見つかるのであろうか。これを書いたときのチェーホフは39歳。そして、その5年後に実際に死ぬ。となると、ある意味で作家は、この教授の心境と近いものがあったということになるのだろうか。決して60歳が本当には考えないであろうことが描かれているとしても、死を前にした人間の眼差しといしう意味では、考えさせるものがあると言えるだろう。それにしても、登場人物の人生の退屈さもさることながら、物語を読むほうも、些か退屈してしまつたというのも、チェーホフの計算ずくのことであるのだろうか。
最後に収録されているのが「六号室」。信仰深い若い医師が、患者との交流で、自ら精神に異常をきたすようになる。さて、その行き着く先は何だっただろうか。
キツネのような犬カシタンカは、迷子になり、サーカスに拾われる。芸を覚えはするが、サーカス団にトラブルがあり、カシタンカは芸を披露するも――という案配だ。これはいくらかストーリー性がある、と言えるかもしれない。
岩波文庫にも短編集があるが、殆ど重ならない。機会があったらそちらも見てみよう。盛り上がりを期待する人には不向きだが、それぞれの登場人物に、何かしらもどかしさを憶えたり、自分もどうなるか分からないなという気にさせたり、そう退屈はしないのではないかと思われる。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド