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『キリスト教文学を学ぶ人のために』

ホンとの本

『キリスト教文学を学ぶ人のために』
安森敏隆・吉海直人・杉野徹編
世界思想社
\2200+
2002.9.

 世界思想社からシリーズで出版されている、ある学究分野への入門書のひとつである。なかなか充実している。研究方法が指導されているわけではないが、その方面についての基礎知識や背景のようなものが一読で概観できる。また、それは古典的で教科書的な叙述でなく、現代の研究で話題になっていることも伝える息吹を感じさせるものとなっている。なかなかよい企画ではないかと思う。私も聖書関係で何冊か目を通した。なるほどと思うことを多く学んだ。
 今回は、同志社女子大学のメンバーを中心とした執筆陣により、キリスト教文学という視点から見える風景が紹介されている。それは、いわゆるクリスチャン作家が紹介されている訳ではない。それだったら、キリスト教雑誌が喜んで特集したことだろう。ここでは、何かしらキリスト教の影響を受けた文学者や作品が目白押しである。
 そういう視点から考えると、明治大正期の日本の文学には、キリスト教が大きく関わっている。芥川龍之介の自殺した枕元に聖書があったという話に限らず、多くの作家が聖書に求め、あるいはヒントを得、洗礼を受けた人も少なくない。それでいて、何かしら理想に傷ついた棄教するという例も数多くあり、そしてなお聖書の影響を受け続けている、と見られる場合も少なくない。
 こうした傾向を、一人ひとりの作家について、短いながら的確に教えてくれるのが、本書の第五章である。
 そこへ行く前に、近代日本の文学風土を説くなどのまとまりがあり、対談により弾んだ会話が置かれている。但し、この対談が曲者であり、信仰者がここを読むとショックを受けるかと思う。信仰の観点からすると、けしからん眼差しが貫かれているので、注意が必要である。もとより、キリスト教研究の一部の成果がそこに関わっていることは否むべきではないのであるが、その一つの研究を、恰も真理のすべてであるかのように断言しているというのが問題なのである。発言者の自分の信念であることは認めるが、それがすべての真理であるとして言い切ってしまうのはどうだろうか。つまりは、聖書の信仰箇条を総否定するかのような極端な言い方が続くのである。文学者がそのように捉えた、という形ではなく、聖書そのものがそうである、というふうに決めてしまう。自分はそう思う、という程度の言い方ならばまだよかったのだが、それをも超えている。ここはだから、聖書そのものについての言及は、話半分に聞いておくという仕方で相対しなければならないであろう。
 後半の、一つひとつの文学作品についての2頁単位のレポートは軽快である。私ももちろん知らない作品が多々あるのだが、作家とその作品についての、なかなかよい入門書であると言ってよいことは間違いない。日本人の作品に限らず、西欧の作品も私たちに馴染むものはたいてい取り上げられている。もちろん西欧でキリスト教文学というとなんだか当たり前過ぎてすべてに関係すると言っても過言ではないのかもしれないが、その中でもとりたててキリスト教精神を含むものや検討の意義のあるものが適切に取り上げられているように思われた。
 文学に疎い私には、特に大いに学ぶところであった。但し、ここにも一つだけ私は不満がある。それは『蠅の王』というW.ゴールディングの紹介である。たとえば「マチウ書試論」なら「マチウ」とはマタイのフランス語読みであるとか、「失楽園」なら創世記のこういう話に基づいているとか、背景にある聖書についての説明を加えてくれているのであるが、「蠅の王」については、この謎の題について、何ひとつ説明を入れてくれなかった。もちろんこれは、聖書の中にある悪魔のベルゼブブの名が表しているとされるところのものである。イエスが、その仲間だと悪口を言われる場面が福音書にある。これに一言でも触れないと、このタイトルがどうキリスト教に関係しているのか、読者には伝わらない。
 こうした点を、本書の読者には伝えておきたいと思った。




Takapan
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