本

『カトリック教会情報ハンドブック2019』

ホンとの本

『カトリック教会情報ハンドブック2019』
カトリック中央協議会
\480+
2018.11.

 時々買うことにしている本である。プロテスタント教会にいる私なので、この本をもつメリットそのものはあまりない。広告抜きで360頁ほどあってこの価格なので割安感があるため、負担にもならない。本書のうち250頁ほどは、カトリック教会や関係施設の住所と電話番号の羅列であるか、教会暦や聖歌案といったミサに関係ある資料である。価格の安さはこのあたりからきていると思われ、要するに電話帳代わりといったところである。
 しかし、冒頭には第一の特集記事ということで、「中浦ジュリアンと千々石ミゲル」を長崎の遺跡などに訪ねた旅行記が長くレポートされている。読み物としても面白いが、現地に足を運んだ人にしか分からないようなことを含め、歴史の紹介としてもなかなか読み応えがある。これをひとつ読んでみたかったというところから手を伸ばした。
 長崎の殉教地はいくつか訪ねたことがある。聖母の騎士社もそのツアーのひとつに入っていた。カトリックが悪いなどとは考えないもので、歴史と信仰の現場に触れるという経験は、大きな意味があったと考えている。こういうルポには関心がある。当時のことを知ることは、いまの日本社会の中での信仰のあり方や伝え方に関係が大いにあるものと思っているのだ。 第二の特集は、ミサの典礼書に関する資料である。これは残念ながら私にはあまり利用する機会がない。
 特集扱いでなく、毎年載っているのは、2018年の教皇メッセージである。もちろんカトリックのサイトから読むこともできるし、その都度ニュースにも挙がってくる。しかし、手許の文字で実際に読むというのはまた違った味わいがある。それも、一年分を通して読むと、その流れというか、それぞれのメッセージの底流に流れるものを感じることができるし、いろいろと勉強になる。これが実は楽しみなのだ。
 教皇メッセージには、「世界平和の日」といった、だいたい意図も分かりやすいし、あるだろとなと思うものももちろんあるが、「世界病者の日」というのがあるのは、目的は分かるが知らなかったし、「世界青年の日」は、実際に読むとその中で伝えようとしているメッセージがありありと見えてくる。「世界広報の日」や「被造物を大切にする世界祈願日」のように、どこから論ずるのだろうと不思議な項目もある。難民について、貧しい人々のため、そうした祈りにも似たメッセージもあり、思わず心を合わせて頭を垂れていたくなるものもある。
 これらは、思いつきで発されるのではない。世界中のカトリック信徒の信仰の指針となるばかりでなく、世界の政治をも時に動かす力をもつものとなる。政治的意図で語られることが多いようには思えないが、隠されている場合はもちろんあるだろう。しかしそのように見ずに、純粋に信仰の問題として聞いても全然差し支えがないばかりか、本当にその気持ちで語られるのだろうと思える堂々たる文章である。実によく練られた文章だということだ。だから、プロテスタント教会としても、名説教者の説教を読むという習慣があるのだけれども、教皇の文章はそれよりもなお厳密に検討され作成されているはずであって、だったら味わい深くないはずがないのである。
 聖書の引用はもちろんのこと、世界で問題視されている様々な出来事や報道からも引用や言及がなされる。若者文化の中に巣くう問題点の指摘もある。つまりは、牧師の説教とて、これほどに練りに練られたものはめったにないだろう。じっくりと、一つひとつの表現や段取りを味わって、勉強にならないはずがない。
 いや、利用するようなことばかり考えていてはならない。カトリック信徒へのメッセージであることは間違いないが、すべての人類への宣言でもあるはずであり、中でも同じキリスト教徒であれば、耳を傾けてよいはずだし、傾けるべき内容であると私は考えている。私へ向けられて問いかけるメッセージとして受け止めて然るべきなのである。聖書から、神からの問いかけであり、あなたはどうなのかという声が突きつけられてくるような気がしてこなければ嘘である。
 そして自分の中で噛みしめ、また応えていくことを考えた上で、このような立派なメッセージを自分もまた人々に対して発していくように促されているのは、私個人の問題であると言えるだろう。大いに考えさせられる。心を動かされる。カトリック信徒でなくても、これは聖書に基づく、現代に必要なメッセージであるのだ。広く世界中の人々へ向けて練られた、人類の良心の精一杯の文章なのである。そう捉えて、悪いだろうか。




Takapan
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