本

『カンディード』

ホンとの本

『カンディード』
ヴォルテール
斉藤悦則訳
光文社古典新訳文庫
\980+/
2015.10.

 他の訳も出版されていて、どちらを購入しようかと迷ったが、「リスボン大震災に寄せる詩」を本邦諸訳で載せたという、光文社の新しい訳を買うことにした。
 リスボン大震災は、世界最大級の国の首都を壊滅させた上、万聖節を襲うタイミングもあって、キリスト教の信用度を格段に下げた災害であった。これは世界史を大きく変えたと言っても過言ではない。しかし、このリスボン地震については、実に史料が少ない。私たちの手許に入りやすいものが見当たらないのだ。もちろん、カントもこの地震にショックを受け、地震について研究を加えている。そして現代科学からすれば誤りではあるものを主張したが、現代に影響を与える見解をも見出している。
 ヴォルテールは、この地震を知り、人生観をやはり変えたものと思われる。それでかの詩においては、最善説を糾弾する叫びを表し、それをコミカルな冒険談として作品に仕上げたのが、本書「カンディード」である。とにかくこれは喜劇のように展開するのだが、テンポもよく、また諷刺も利いている。最善説を唱える哲学者を、真面目に描くことで却って笑い者にすることに成功していることは間違いない。
 若者カンディードは、哲学者パングロス博士を信奉している。博士は最善説を原理として世界を説明し、カンディードもそれをそのまま信頼していた。あるとき美しい女性に出会う。クネゴンデという、由緒ある家の姫だが、ここからはもう簡単には辿れないほどに、様々な妨害と悲惨な出来事が続き、クネゴンデとは別れて生きることとなり、カンディードは世界中を巡ることになる。途中で現地の人が価値を置いていない石ころのようにしているものを手に入れるが、それはヨーロッパの人物から見れば宝石であり、カンディードはそれを元手にいろいろなことができるようになる。但し、そのを持っているが故に災難に遭うということもこれまた多々あった。
 ギャグの仕掛けもあり、読むのにも全く退屈しない。次々と襲いかかる不条理な出来事は実によく練られている。クネゴンデも一旦は死んだと知らされたが、悲惨な運命を辿り生きており再開する。カンディードは、クネゴンデと結婚するために何事をも乗り越えることができる。その都度、これが最善なのだと自分に言い聞かせて奮い立つのだが、最後にはそんなことはないぞ、世の中は最善ではないのだ、と気づいていくようになっていく。
 思想というものは単純じゃない。ヴォルテールが揶揄しているほど、最善説というものが表層的なもので終わるようなものではない。けれども、同じことは私たちにも言える。私たちもつい気軽に、世の中こうだとか、神はこうだとか、いとも簡単に口にするのだ。特にこの作品は、リスボン地震を契機として生まれたと言ってもよいようなものなのだが、これについても、また人がどのように考えるかについてもまた、「解説」に詳しい。なかなかこの「解説」が、読み応えがあるのだ。勉強になるだろうと思う。
 その中で、本書の一番の注目ポイントが挙げられている。私もそこが際立っていると思った。それは、最後のシーンに関係する。それまで全く出て来なかった思想が、ぽろりと出てくるのだ。一応それは、ここでバレない形でのみ紹介しておく。
 なお、蛇足ながら付け加えておくと、最善説とは、基本的にライプニッツである。尤も、ライプニッツ自身がそれを実際の歴史に適合させる形で主張したというよりも、もっと抽象的なレベルでの議論に持ち出した原理であったと見ることもできる。ヴォルテールは若い頃にはそこに魅力も感じていたようだ。しかしリスボン地震で一変したと思われる。すると世界の出来事もとてもじゃないが最善だなどと言っておられるようなことは何もないということに目が開かれ、本作品で最善説を完膚無きまでに叩くことを目指したのだ。




Takapan
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