本

『キリスト教綱要 初版』

ホンとの本

『キリスト教綱要 初版』
ジャン・カルヴァン
深井智朗訳
講談社学術文庫2850
\2100+
2025.2.

 教会に備えられていた『キリスト教綱要』を借りて、猛烈にノートしたのは、2011年のことだった。手許にあるそのノートの日付けを見ると、2月から11月までかかっている。それは、1962年の渡辺信夫氏の訳によるものだった。全部で六巻に及ぶ壮大な書である。
 今回、講談社学術文庫から新しい訳として刊行されたのは、その綱要の初版であり、分厚くはなったが、文庫1冊にまとめられる分量である。つまり、カルヴァンの改訂は、内容を次々と膨らませていったのだ。
 初版は、カルヴァン27歳の年に発行されている。まだ若々しく、気概に満ち、勢いもある。そのため緻密な議論を重ねているというよりも、言いたいことを次々と言い放つような印象がある。だからまた、カルヴァンの思想そのものを手際よく知ることができる、とも言える。そこに、この初版を読む意義があると言えるだろう。
 これまでも幾人もの訳者が挑んできた。それぞれに役割を果たしたし、力のこもった訳であったことだろう。私はそのすべてを見たわけではない。ただ、本書を手に取り読んでみての印象は、たいへん読みやすい訳文ではないか、ということだ。多少、意訳のようにもしているだろう。分かりやすさを中核に置いて作業をしているとのことなので、語順を入れ替えるなど、工夫がなされているのだろうと思う。そのため、原典にこだわる方々から見れば、不満もあるかもしれないと思うのだが、しかし日本語の文章として読む私のような凡人からすれば、本書はとても読みやすく、理解もしやすかったと考えている。
 本書の冒頭では、「信仰の概要、救いについての教え、それらを知るために必要な諸々の事柄がまとめられており、信仰を求める人々にとって不可欠の書物として刊行される」と掲げられている。そしてフランス国王への序文がまず始まるのだが、カトリックの王である。寛容であった頃の王への献辞ということだろう。コンパクトながら、凡そカルヴァンの方向性はよく盛り込まれてある。
 章のタイトルだけを並べておこう。「第一章 律法について、十戒の説明を含む」「第二章 信仰について、使徒信条の解説を含む」「第三章 祈りについて、主の祈りの講解を含む」「第四章 サクラメントについて」「第五章 これまで世の人々によってサクラメントと考えられてきた残りの五つのサクラメントはサクラメントではないことを証明し、ならば何であるかを明らかにする」「第六章 キリスト者の自由、教会の権能、国政について」となっている。
 幾つか特筆すべきことがどこにあるかを示すと、第二章に「教会と聖徒の交わりの外に、いかなる救いもない」という宣言がある。第四章に、サクラメントについて、「それが誰によって執行されたとしても問題はないし、それで十分である」という考え方が見られる。凡そ説教もできず、救いの体験がないような牧師から授けたのであっても、洗礼は洗礼であって、その残念な係を通して、実は神が救いをもたらすのであり、神は真実である、というのである。
 また、同じ第四章に、「神に選ばれた者たちは、何歳でこの腐敗した牢獄から取り去られるとしても、一人残らず信仰によって永遠の生命に入る」という力強い言葉も見られる。こうしたサクラメントは、「信仰と愛の欠如に気づかせるために、人々を奮い立たせるために、そして刺激を与え、鍛えるために制定された」ともあり、現代の私たちへも強いメッセージを含んでいることがあちこちに見られる。
 第五章には、「キリスト教に至るための道は聖書にすべて書かれている」との、プロテスタントの立場が明確に宣言されていたし、罪を「誰に告白すべきか。もちろん、ただ一人、主に対してである」とし、サクラメントが洗礼と聖餐の二つに限られることを強調する。多くの頁が、カトリックの七つの秘蹟のうちの五つが、真のサクラメントとは呼べない、ということを論証するために割かれている。
 また、第六章では、「私たちの自由は、弱い隣人たちと対立するために与えられているのではない。愛は、あらゆることにおいて私たちが隣人に仕えるように教えている。自由とは、私たちが魂の中で神と和解し、人々の間で平和に暮らすために与えられた」と、ルターの言うことを踏まえたような言い方をしている。これもまた、現代の私たちへも、信仰のよきテキストとなるに違いない。
 同じ第六章ではまた、「預言者たちがその時代に語った言葉は真実だったが、それはその時以上に今日の情況に適合している」と、神の言葉の現代性を強く伝えているところがある。これも私たちの信仰を生かす重要な視点であると思う。
 さらに、伝承を重んじることで、「神への礼拝を私たちが勝手につくったもので汚すな」と、強い口調でカトリックなどの考え方を批判している様子も見られる。
 さて、「訳者あとがき」で触れているが、訳者は本書発行の5年前に、スキャンダルに見舞われた。いまそれをここでとやかく説明はしないが、学者としては致命的な問題だった。ある意味で、学会を追放された身となった。そのため、「悔悛について」書かれた箇所では、「訳しながら何度も打ちのめされ、教えられ、しかし深く慰められた」と告白している。確かにその出来事は非難されて然るべきものであったことだろう。だが、それでは他の学者や研究者には、そういうことが皆無だと言えるのだろうか。ずいぶんと訳者を非難する人もいるし、このような訳書を出したことに対して、唾を吐きかけるような態度をとる人もいる。だが、その人には何かやましいことが微塵もないのだろうか。罪なき者がまず石を擲てというヨハネ伝の言葉に、オッケー、と石を投げるのだろうか。
 とにかく、私には本訳は、ひじょうに読みやすいものだった。以前の訳ではひっかかりもっかかり読んでいたように記憶しているが、すうっと流れるように入ってくる言葉が、実に快かった。だから、訳者に感謝こそすれ、私は何の悪い言葉も向けるつもりはない。分かりやすい本であった。だから、一度ラインを引いたり付箋を付けたりしながらゆっくり読んだが、次はさらにサラサラと読んで、全体のつながりをもっと噛みしめてみたいと願っている。




Takapan
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