本

『中世西欧文明』

ホンとの本

『中世西欧文明』
ジャック・ル・ゴフ
桐村泰次訳
論創社
\6090
2007.12.

 なんともすごい本である。中世の西欧について、なんでも記そうというのである。その意気込みにも驚くが、この600頁にも届こうかというほどの分厚い本に、イラストや図版が殆どないことはさらに驚異的である。
 実は、原著にはこの図版があったらしい。しかし、廉価版としてそれを抜いたのを入手したことから、訳者がこうした形で翻訳して出版したようである。しかも、こうした分厚い本がさらに図版でふくれあがることを考えると、懸命な処置であったかのかもしれない。  ただ、本当にこのただ長老がひたすら歴史を語っているかのような文章が延々と続く本というのは、威圧的である。
 出版は1964年だという。なるほど、時代的にそういう感じだったのかもしれない。巨大な知の構築があったのだ。
 概ね、キリスト教を軸としたその時代の空気を描こうとしているように見える。また、ことさらな支配者の都合による「歴史」ということでなく、その時代に生きていた人々の生活や考え方のレベルを目の前に描くという姿勢が強く感じられ、好感がもてる。そのときの人々の常識というものはどうなのか。これは、描くのに簡単とは言えない。資料から推測しなければならない面もあり、また普通ならば見向きもしないような瑣末な資料をかき集めて、まとめなければならない。それが好きだったと言えばそれまでだが、実に大変な作業だったことだろう。
 私たちの時代も、私たちがこうして生きて生活し、考えている。これが真実だ、と思って行動している。とすれば、中世のヨーロッパの人々もまた、当時はそのように考えていたはずだ。自分たちの常識と違う常識というものがこの世にありうるなどとは考えてもいなかったことだろう。それを掴まえて、私たちが勝手に、暗黒時代だとか、いやロマンの時代だったとか、評価しても、実のところ私たちから勝手に裁いているだけなのであって、当時の人々を理解したことには決してならないだろう。
 だから、その時に生きた人々の視線で世界を見て叙述するという、ありそうでなかなかなかったこの歴史を、私たちはもっと大切に扱ってよいのではないかと思う。
 彼らにとり、森とは何だったか。自然をどう見ていたのか。イスラムはどう目に映っていたのか。モンゴルについて思うところは。そもそも神や悪魔、天使については人々がどう捉えていたのか。どういう時間感覚をもっていたのだろうか、については農民や領主などいろいろな立場からの観点を詳しく述べている。そして文明というタイトルをつけているだけに、機械についてや農耕技術のことにも細かな記述を置いてくれている。動力源は何だろったのか、経済についてどういう考えをもっていたのか、家族とは何か、村はどういう感じだったのか、差別された人々はどういう扱いを受けていたのか。そして最後に、精神的な側面で、不安や権威についての感覚、何が美であったのか、道徳観はどうだったのか、こうしたことは、有名な著作から私たちはよく知ることができるが、考えてみれば、その著作が当時の人々の感覚を代表しているとは限らない。それはあくまでも一人の思想家のまとめであり、場合によっては時代を変えていった、風変わりな思想であったのだ。庶民はどうだったのか、そこは検討に値する。そもそもが、住まいはどうだったのか、生活の気晴らしはどうであったのか、そんなふうに、生きていた一人一人の顔が見えるような時代理解は、通常の権力者の歴史とはまた違うものと言わざるをえない。
 大部であるが、覗くのにはなかなか魅力的である。信仰がどう扱われていたのかという点は、現在の私たちの信仰というものをも相対化する力をもっている。私たちが真実と決めてかかっていることは、私たちの時代の特殊な常識であるに過ぎない可能性があるし、おそらくはそうなのだ。中世の人々も、自分の捉える世界がすべてだとしか考えていなかった。私たちは、歴史というものについて、また新たな視点を得る。半世紀前のこうした本が、私たちにいきいきと語りかけてくれる。




Takapan
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