本

『CDでわかる ギターの名器と名曲』

ホンとの本

『CDでわかる ギターの名器と名曲』
濱田滋郎・村治佳織
ナツメ社
\1890
2011.5.

 私は、いくらかでも弾ける楽器があるとすれば、ギターくらいである。音楽理論もすべてギターから理解した。幼いころ、姉が私にちょっと触らせてみたので、ガットギターで「禁じられた遊び」の前半くらいは弾けるようになっていた。小さな体で、とてつもなく大きなギターを抱えていたはずだ。
 中学に入り、ちょっといいなと思ったフォークソング部にちょっといて、ギターを弾く体育教師を見て、できたらいいなと思った。そして早くも作曲を志したが、コードネームがめちゃくちゃだと音楽教師に非難された。当時の音楽教師はもうクラシック畑そのものだし、放送部の顧問でもあったその教師は、せいぜいイージーリスニングを給食の放送でかけるのが精一杯の妥協点であった。
 くそうと思った私は、フォークソング雑誌を買い、さまざまな曲から帰納的にコード進行なるものを会得していき、そしていつしか作曲の点でもさしあたり問題のない理論の理解をすることができるようになっていった。下総皖一氏の『作曲法』は実に堅かったが、そのがっちりした基礎を知ることで、どんな変化球にも対応できるようになったと言ってよかった。
 フォークソングとして、自作の歌詞と曲とを形にできるようになっていたが、中学三年生のときには、夏休みにギター二重奏曲を作曲した。「雨」という題で、ある練習曲のフレーズをヒントにして主題として、展開していくものとした。ベース音を繰り返す雨だれが止むと、雲間から光が射すような情景を、同主調への転調で表した。録音して出品するようにと言われ、友人に頼んで録音もした。県でも上位の入賞を果たした。
 音楽教師は代わり、健全な童謡のようなフォークソングは給食のときにかけることが許されるようになった。時代も、少しずつ変わるようになってきた。新しい音楽教師は、無条件で私にバイオリンを貸してくださった。自宅に持ち帰り、受験勉強の合間に教本の通りに鳴らしてみていた。ぜひ一度どんなふうに弾けるか聞かせてほしいという教師の頼みがあったが、ついに披露することなく中学を卒業してしまった。申し訳なかったなと今ならば思う。
 さて、思い出話などどうでもいい、と言われそうだ。
 この本には、CDが付いている。紹介された名曲の数々が実際に聴ける。よい試みだと思う。その割には価格もそう高くない。本書がオールカラーであることを考えると、出版社側には利益が出ないのではないかと危惧するほどである。
 若い美女、などと言うと却って失礼かもしれないが、村治佳織さんはギター一筋の素晴らしい演奏家である。音楽評論家の著者が彼女の協力を得て、生きた本として完成したと言える。ここには、ギターのすべてがある。もちろん、ここにあるのはエレキからすとんと入るような記述ではない。そもそも古代はどうだったか、どういう歴史を辿ってきたか、その魅力はどこにあるのか、もう微に入り細を穿つ説明に、驚くばかりだ。本書によりこれだけ知っていてギターをあまり知らないなどとはもう言えないことだろう。
 そう言えば、旧約聖書の最大の詩人ダビデ王は、またとない琴の名手でもあった。初代イスラエル王サウルの精神的な病をその音楽で癒していたというほどである。多くの作詞作曲をしたことだろう。それはギターと呼ぶことはできないにしても、ギターに匹敵するような楽器であったと思われる。音楽は歴史の中で遺すことの難しいものの一つである。ダビデの信仰をのせたそのメロディも、何かディスクに残っているようなことはないものだろうか。




Takapan
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