本

『ヒロインたちの聖書ものがたり』

ホンとの本

『ヒロインたちの聖書ものがたり』
福嶋裕子
ヘウレーカ
\2700+
2020.10.

 こういう本が一般の図書館に入っているのを見ると、小躍りしたくなる。本の紹介を見て、ぜひ目を通してみたかったが、けっこう高価である。しかし、タイトルや表紙の雰囲気からして、女性を主人公として聖書を読み直してみたとか、女性のキャラクターを拾い出して紹介するとかいうものはありがちなものだとも言え、軽い読み物なのかもしれない、という先入観を勝手にもってしまっていた。
 だが、手にして後悔した。これは実に骨太の本だ。女性を取り出して女性という視点から聖書に記されていることを捉え直すという予想は外れてはいなかったのだが、リベラルな思想も含め、聖書についての様々な捉え方がみっちりと含まれていた。また、私自身初めて耳にするような解釈も時折見られ、勉強になった。
 実のところ、巻末の注釈が凄い。本編だとまだ、一読して分かるようにスムーズに流されているのだが、注釈には、本文に載せるには過激かもしれないような説が、確かに脇道になるであろうという意味で、集められているのだった。
 要するに、著者について私が無知だったということである。力ある内容の本をいくつも著しているようだ。頼もしい人と出会えたのだと喜んでいる。
 サブタイトルには「キリスト教は女性をどう語ってきたか」と小さく書かれている。少しもったいない。この視点はもっとアピールしてよいのではないだろうか。また、それだけの価値ある内容であると思うから、もっと手に取りやすい機会を増やしてもらいたいと応援したくなった。
 女性の視点というと、どうしてもフェミニズムという言葉が頭にちらつく。けれども本書はそのような意味で女性を取り上げているのではないと思う。著者の視点は、虐げられている立場の人や、弱い者の側に立って、世界を見ようというものであるように感じる。女性の権利はこうだ、というような言い方をするのでもないし、男性社会はけしからんと糾弾するための声を発したいというのでもない。もちろんフェミニズムがそういうふうだというわけではないのだが、女性・男性という言い方を強調するばかりであれば、案外、男女の区別や対立の枠を前提としていることもある。その二つの性に分けて論じるというばかりでなく、人として、弱さの中に置かれることや、特に社会の中で弱い立場に置かれることを強いられているという中でどう生きるか、そうした人をどう立ち上がらせることが可能なのか、ともかく辛い目に遭わないで済むような社会にはできないのかどうか、そんなことを頭に置きながら論じていくということは、確かにできるような気がする。
 焦点を当てるのは女性ではあるが、聖書のストーリーを示すには、男性を登場させるわけにはゆかない。本書は、全体として、聖書の物語を通読的に紹介する役割も担っている。ごく簡単な粗筋と、おおまかなキャラクター紹介、それからその一人ひとりのために細かな経緯や心理が描かれ、歴史的な評価や筆者の解釈が施されていく。従って、聖書の物語の概略を理解するためにも、非常に優れた構成になっている。それでいて、通例の聖書の紹介のときにはしばしば男性キャラクターの派手な動きにかき消されてしまう、しかし重要な鍵を握っているに違いない女性キャラクターを軸に語っていく故に、聖書をまた違った角度から読み解いていく準備ができた叙述となっていると言える。
 実は個人的に、聖書に登場する女性については、かねてから非常に魅力を覚え、私はかなり細かく見ており、またその女性の気持ちや行動の意味などについても考えてきたつもりだった。その意味からすれば、特に予想外の人物がここに集められたような気は全くしないのであるが、女性の置かれた社会的情況から、その生活の視座というものについては、まだまだよく気づいていないことが多々あったことを、本書から教えられた。いやはや、確かに「骨太」の本であった。但し、私の知る観点に触れられていないこともあったし、ちょっと意外に思えるような理解だと思うことがないわけではなかった。それでも、多くの点で、間違いなく興味深い視点を指摘してくれるものであったことは、間違いないのである。




Takapan
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