本

『聖書の正義』

ホンとの本

『聖書の正義』
クリス・マーシャル
片野淳彦訳
いのちのことば社
\1300+
2021.2.

 130頁もない、薄い本である。いまどきこのくらいの価格は仕方がないが、とくに旧訳聖書の引用が改行をふんだんに取り入れてゆったり行数を稼いでいるなど、情報量はさらに少なくなる。
 いや、ぼやいているのではない。その分、無駄なところが少ないのだ。冗長に過ぎる印象が殆どなく、きびきびと話が展開する。それは逆に言えば、深い議論がなされていないということにもなる。綿密な議論が展開されているのではないし、引用文献も特にない。あるのは聖書からの引用である。これは、巻末に9頁にわたる、聖書箇所の索引があることからも明白である。聖書を聖書からのみ解釈するというひとつの原則を掲げる読み方があるが、本書もまさにそのような姿勢で臨んでいるように思われるのである。
 著者はニュージーランドで神学教育に携わり、とくに法的分野に手腕を発揮しているとのことである。故に、本書の中心にそれが入ってくることも必定であって、聖書に政治的・法的な考えがきちんとなされていることを主張する。但し、それは現代の私たちが考えるような法的概念とは異なる。文化も時代も違う。社会的な問題の前にイエスは立ちはだかったのだ、という主張に徹していることは間違いない。
 サブタイトルは「イエスは何と対決したのか」とあり、これは訳者の考えに基づくようであるが、悪くないものだと感じる。因みに原書のサブタイトルは"A fresh approich to the Bible's teachings on justice"であり、本の題は"The Little Book of Biblical Justice"である。正に小冊子であるが、十分まとまっており、読みやすい。
 何より読みやすさへの親切を覚えるのは、巻末にある「付録」である。それは「要点のまとめ」と題されている。本書の最初から流れてきた筋道での主要命題がずらりと並んでいる。本書の主張をこれで読み外すということは全くなくなるはずである。学習参考書がこんなふうであると本当に分かりやすいであろうし、実際こうした構成を学習参考書はしばしばとっている。必要に応じて、その命題に関する聖書箇所と著者の論旨を確認するために、本文に戻ればよいというわけである。
 そういうわけで、本書は、教会における、あるいは信徒の間での、読書会になかなかよいのではないか、と感じた。おそらくそれを狙って編集・出版したのではなかろうかと思うのだが、私のプランでは、10頁くらいの分量で区切り、1時間ばかりの時を用いて、リーダーが解説し、互いに疑問を出したり感想を言ったりして、わいわいと話すと効果的ではないかという気がする。もう少し少ない頁でもよいが、10頁平均だと、全10回の学び会となる。行事などで休会となることを含めて、3カ月あれば終了する。
 何もプランナーの役を果たすつもりはないが、学術的には書かれていないけれども確かに必要な配慮は十分なされていると見た本書は、複数の目で見て意見を述べ合うというのが非常に実りの多い機会になるのではないかと思うのだ。たとえば本文の中でも、「神義論」という言葉を用いたら、その語について「弁神論」「神の弁明」という言葉を括弧付けして、最後のが直訳的な意味だということまで分かるように示している。これなら少しばかり本を読んだ人には残らずピンとくるであろう。
 原文ではイタリックなのだろうか、明示されていないが、本文中には「傍点」が随所に施されている。個人的にはゴシック体のほうが見やすかったかもしれないと思うが、それはさほど大きな問題ではなかろう。聖書箇所は章と節で多く触れられているので、学び会となると、一つひとつ実際に聖書を開いて、確認し合うようにするとよいかもしれない。だがそうすると、1時間半ばかり必要になるかもしれない。
 妙なことを気にしているが、学ぶ価値があるというのは、本書が教会という共同体をどう考えるか、その中にいる自分がどう立つか、そこからどう社会を見るか、そして聖書と向き合うかというところにまで気を配っているからである。そして、神と自分との関係の修復を迫るというのが、嫌味な形でなく、自然に描かれているので、信仰生活のためにも、有意義だと思われるからである。著者の正義論的立場は、たしかに「修復的正義」であるのだという。環境問題までも視野に入ってくる、大切な学びの機会が得られるのではないかと期待できる小冊子であった。




Takapan
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