本

『聖書から考える牧会』

ホンとの本

『聖書から考える牧会』
聖書神学舎教師会編
いのちのことば社
\1500+
2012.12.

 聖書宣教会という、保守的な信仰のグループがある。何も原理主義だなどと言って危険視するつもりはさらさらなく、むしろプロテスタントの信仰的側面で非常に尊敬すべき活動を続けていると言わなければなるまい。その聖書宣教会の2012年の研修会の講義録がここにまとめられた。毎年そのように出版しているというわけでもなさそうなので、このときの内容が充実していたのと、現在の日本のキリスト教界において非常に重要な意味をもつと見なされたのだろうと推測する。
 テーマは「牧会と牧会者」。まさに、教会が減少しており、後継の問題が危惧さえされている現状において、この課題は重く、しかも無視できない。教会生活をしている者にとり、その教会における問題もあるだろうが、広く教会一般がどういう状態であるのか、知ることが難しい。私が教会で説教を担当したとき、ほかの教会よりも分かりやすかったという言葉を戴いたことがある。私個人としては、その時には難しいものがあったと案じていたので、予想外だとしてうれしかった。どうやら、他の教会では理屈が多いが、礼拝に来てイエス・キリストに会うということができなかった、というのだ。なんだ、それなら私は必ずそれをしなければ説教にはならないと考えているわけで、分かったという感想もある意味納得ができたのであった。
 この本でも、なかなか難しいことが述べられている。そして教会の現状を出そうとしながら、聖書ではどう言っているかという点について、聖書の各地から拾い上げるようなところ、また神学的な見解を示しているようなところも窺える。思ったよりは、具体性を欠くもので、ヘブル語やギリシア語の釈義もたくさんあったので、堅い印象は否めない。
 ただ、どうやら信徒のためのというよりは、牧会者自身がこれを読み、考えていきたい内容であるらしい、ということも次第に分かってきた。牧会するとはどういうことか、聖書は何を求めているか、もう一度聖書から聞こう、というかのようである。
 最後にまとめられていたが、牧会されたくない信徒が増えている、という意見もある。教会のお客さんとなろうとする傾向がある、というのである。これは牧会という活動そのものが否定されるに等しいことであり、恰もイベント企画者に過ぎないということになりかねない危機であるとも言える。教会とは建物ではなく、そこに集う人的資源のすべてであり、個人個人が神と結びつくように、教育する場であるというベースが確かにある。牧会者自身がこの変化と危険性とに気づき、祈りと知恵とにより、改めて本来的に「牧会とは何だろうか」と問いなおす時が必要だ、というのがこの本の真の動機であるのではないかと感じた。
 これを、私は読み終わることによって理解した。ただ、この本の題にも帯にも、これは牧師が読むべき本だ、という説明がどこにもない。たしかに、よく考えれば、「教師会」とあるし、「真の牧会者」のようなものが目指されていることは分かる。だが、信徒や役員の中で教会について考える人はそういう問題を考える上で、読みたいと思うかもしれない。現に私はそのように考えて手に取った。「牧会について考える」というテーマは帯を読めば見えるが、それも、牧会者が読むべきだとうふうに決められているものではない。つまり、牧師がまず読むべき本である、という基本的なスタンスを、もっと分かりやすく示すべきではなかっただろうか。ことに、近年ネット販売で本が広く受け容れられている中で、中身を確認できない以上、副題やコメントは重要である。せめて副題ででも、「牧師のために」とか「牧師が教会について学ぶ」とか、そういうものを出して欲しかった。一般書が、やたら長い副題をつけて商売上手にしていることへの反発なのかもしれないが、キリスト教関係の本はこのごろ、渋い象徴的なタイトルですっきりした題をよしとしているような印象がある。ネット時代だからこそ、内容をより具体的に示し、ターゲットを意識した紹介の仕方をしていくのでなければならないと思う。そして、キリスト教書店も、店頭販売だけでできる時代ではもはやないので、ネット販売をもっと拡大しなければならないと思う。聖書的かどうかは別として、すでにこのあたり、時代の要請に応えられていない。ここで検討された内容が、聖書の解釈としてひじょうに大切なものであることを認める一方で、これではたしかに牧会をスムーズに進めさせようとすることからは遠いのではないか、という辛口な意見を、付け加えさせて戴くことにする。




Takapan
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