本

『聖書の意味をたずねて』

ホンとの本

『聖書の意味をたずねて』
M.J.BORG
小門宏訳
近代文芸社
\1500+
2002.9.

 副題に「改めて知る旧約聖書の深層」とあるが、元来この著作は、新約聖書部門も含むものであった。しかしそれも含めると大部になりそうなのか、またそうすると販売戦略にそぐわないのか、旧約部門だけを一冊として出すことになった。それで、こういう副題を付けたのではないかと思われる。旧約だけで255頁を数えているのだから、なるほどとも思うが、出版社が、キリスト教書籍専門というわけではないところがポイントであるかもしれない。つまり、これで1500円であれば、相場として安いのである。何かしら、聖書になじみのない読者層にも手に取ってもらう意図がなければ、なかなか一般には出版できるものではない。しかし、内容はかなり強い。福音主義神学とはいえず、自己流の、だが相当に説得力をもった論じ方で、2016年に亡くなるまで、アメリカの新たな神学の波をリードしてきた著者である。中にはイラストのひとつもなく、簡単に広まりそうな装丁でも内容でもないことから、よくぞこうした販売ができたのかと逆に不思議に思うほどである。
 それはさておき、内容については、読みやすさがまず目立つ。深い神学的知識を要さずとも、心の準備を備えてくれる叙述の仕方なのである。これは著者の才能というほかあるまい。読者の心を十分に導くサービスに満ちた述べ方なのである。あるいはまた、翻訳者の腕前もあるかもしれない。読みやすいのである。
 著者自身が聖書を読むにあたり、どのような基本的立場を有しているか、それを明らかにしてくれることは、読者にとり親切である。また、その理由も適度に示してくれるので、たとえその意見に賛同しない読者としても、これはひとつこの話を聞いてみようか、という気持ちになる。とはいえ、聖書の読み方を一定の分類の中で枠組みを決めてしまうというのも、あまりにも便宜的である。君はどの立場なのだい、と訊かれたとしても、なにも既成の分類の中のどれに味方しようか、などと党派的に聖書の読み方を決めているわけではないので、究極的には、一人ひとり違った読み方、つまりそれぞれの神との出会い方というのがあるはずである。だからそもそも、分類をしようとする時点で、一定の聖書の読み方の立場を決めてかかっている、とも言えそうである。
 それはともかく、歴史と比喩としての眼鏡をかけて読みますよ、という宣言をした上で、改めて聖書を読み解いていくというのは、読みやすく、楽しみやすい。創世記からモーセ五書、預言書そして知恵文書というようにそれぞれの面白い部分を、著者の眼鏡で読んでいく。それは、聖書に一定のフィルターをかけて読んでいくことでもある。正しいとか正しくないとかいう問題ではない。私たちはそれぞれの眼鏡をかけているわけだし、著者の見えている世界は、著者の眼鏡によるものであるから、とやかく言うことではない。著者と気が合う人は、きっと同じ度数の眼鏡が合うのだろう。
 特に本訳書は、旧約聖書に絞っている。当時の人々と、生活環境も違えば時代も違う。そこから生まれた言葉が、表面上同じように訳され得るものであろうとも、言葉の背後に想定する概念や感情は当然異なるものであろう。するとまた、信仰という、そこから発する魂の問題は、ますます違ったものとなっても当然である。言葉の表現上の問題が、それそれの文化の思惑の中で、どんどん距離が開いていくことが予想される。
 本書は、旧約聖書の各場面においての検討がバランスよくなされ、また注釈がつぶやきコラムのように面白く、味わいがある。聖書を、書いてあるそのまま素朴な意味で受け取らないという立場に抵抗がない方は、かなり学べるところがあるはずだ。逆に、信仰の礎がまだもてていないような方は、まだ読まないほうがよいのではないか、とは思う。少し、おとなの本なのである。




Takapan
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