本

『聖書を読むたのしみ』

ホンとの本

『聖書を読むたのしみ』
斎藤和明編著・並木浩一・古屋安雄
光村教育図書
\1600+
1999.1.

 ICU選書だという。ICUとは、国際基督教大学の略称で、いわゆるリベラル・アーツをモットーとする大学である。専門分野を越えた形での学問を目指しているという。大学創立50周年を迎えるにあたり、この選書が誕生したのだという。
 しかし、本書にあっては、分野を越えるというよりも、どっぷりと聖書に属した形で三人がそれぞれ得意の領域で筆を振るっている。
 このシリーズについてはそれまで知らなかった私であった。そしていかにも入門的な誘いで紹介されているように見えて、知った後でもなかなか手を出さないでいた。だが今回取り寄せてみて、驚いた。なかなかレベルが高いのである。平易な叙述と語句の解説などがあり、そのため確かに教科書のような体裁で、頁の3分の2くらいしか本文がない。だが、最初の並木浩一先生の文章に、激しく驚いた。もちろん旧約聖書の世界である。だが、筋の通ったその叙述に、私は大いに目を開かせてもらった思いがした。通り一遍の解説などではない、新鮮な驚きを与える解説は、他では聞くことのできないような旧約聖書の意味を教えてくれたと思う。
 並木先生は、旧約聖書の権威でもあり、その著書はしばしば論文そのものであった。それは学術的な価値の高いものではあるが、ある意味で証拠がぴたりと揃った、玄人に対するがっちりした内容であることが必要とされる。もし証拠の点で少し薄いものがあれば、論文としては使えないものであろう。だが本書は、聖書を読む「たのしみ」を提供する。自分はこのように解している、という思いを表すことも不可能ではない。証拠固めよりも、面白さを優先させることが許されると思う。だから、面白いのである。
 そこでは、創世記のアダムからカイン、ダビデが取り上げられていた。専門のヨブではなかった。だが、文献的な聖書の意義も含め、それが私たちに呼びかけるもの、罪について問いかけるスピリットが溢れていた。それは遠い昔の物語なのではない。読者である私自身の物語である、ということを伝えているように思えた。空想の伝説ではない、現実の世界の物語なのだ、と訴えていた。これは、いわゆる信徒であっても、曖昧なところであろうと思われる。これなしに聖書についてのお話を講壇で語り続ける人もいるくらいである。自分に突きつけられた神からの言葉だという意識なしには、聖書の言葉は力を与えないし、その意味も知ることができない。聖書は、教義を教えるような書物ではないのである。
 対話が真実への道を拓くし、相互の応答関係があってこそ、言葉は命をもつ。聖書のこのエッセンスをずばりと教えるこの第1部は、まことに福音に溢れている。高度な学術内容を辿りながら、聖書の読み方というものの核心を突いてくるのである。その点において、私はやはりこの第1部をお薦めする。
 第2部は、新約聖書が扱われる。イエスの神の国について、とくにたとえ話ということについて教えてくれている。それから、福音書のヨハネの「ロゴス」ということに視点を注ぎ、パウロについて、とくにその自由についての考え方とキリスト者としての自由の意義を述べている。現代的な課題がそこにはあると思うし、実際の私たちの生き方に直接関わる大きなものがあると言えるかもしれない。
 第3部は、新約旧約の区別をするというよりも、愛について考える章と、福音書に出てくる女性たちに光を当てる章、そしてイエスの生涯の悲劇を、新たに定義し直した喜劇の光の中で捉える道を敷いてくれていたように思う。時折分かりにくい語り方があるように感じたが、伝えようとしていることについてはかくあれかしというものであったと思う。
 「あとがき」によると、本章は「生涯学習」課程での講義内容を濃縮したようなものであるという。大学では、このように意義ある講義が各地で行われている。京都大学ではそのレジュメではあるが、講義がウェブサイトで公開されている。教室の中だけで終わらせるのであっては絶対もったいないと思う。よほどのものだけがこうして出版されるというのはよいことだが、本という媒体だと、なかなか手にする機会がないという空気もある。なんとか市民参加が拡がり、またその機会も一度きりではなく、オンデマンドで「知の共有」がなされるのであれば、一般からももっと価値ある施策がなされ、有意義な対話が始まるような気がしてならない。
 本書を教会で皆が手に取り、読むように導くことで、その教会はきっと生き生きと動き始めるだろう、と私は信じる。教会を建てるために、伝道をどうするかとか、教育をどうするかとか、逆にまた自己の霊性を高めるとか、そういうことばかりしか話し合わないところは少なくない。だが、それはまるで、悪い意味でのビジネス書や自己啓発書ばかり買い求めるのと変わらないように見える。聖書と実生活とを結ぶものは、こうした聖書に深く聴く方々の、祈りに基礎づけられた研究内容からのメッセージである場合があると私は思うし、またそうあってほしい、とも願っている。




Takapan
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