本

『聖書の植物事典』

ホンとの本

『聖書の植物事典』
H.&A.モルデンケ
奥本裕昭編訳
八坂書房
\3000+
2014.7.

 私が手に取ったのは、2026年2月発行の新装版である。そしてそもそも本書は、『聖書の植物』という単行本を、事典の体裁にまとめたものであることが、編集部の言葉として付せられている。それは初版が1981年、新装版が1991年であったといい、「訳者あとがき」も1981年の日付けで収められている。それによると、原著は230種にわたり記事が作られているが、そこから選出された記事を集めたのがこの本であるという。それでも、250頁を超える分量になっているので、読むのも大変だ。
 植物は全般に、イラストで描かれている。これは植物学的な手法であり、中学生の理科の授業の最初で学ぶ描法である。時折、額に絵が入った形の図として、J.J.ショイヒツァーの『神聖自然学』(1728年)から取られた線描画もあり、聖書の一場面の図として参考になる。また、カラー写真が、巻頭に集められているので、色合いや生環境も参照できる。
 訳者の名に「編訳」とあるが、元来ABC順に並んでいる項目を、日本語訳した上でのアイウエオ順に並べ直す、というのが「編」となるのではないかと思われる。項目により分量に差があるが、タイトルに続いて、その植物が登場する聖書の引用が幾つかなされ、説明が始まる。イラストも大きさが揃えられており、安心して頁をめくることができる。
 さて、その説明である。形式は決まっていない。つまり、一つひとつの項目の説明は、それぞれが自由に、ときに物語のように、流れてくるのである。もちろんこれは「聖書」に登場する植物である。だが、聖書の中に、別の名前で書かれている植物が、実はこれだ、というようなことも多々ある。だから、引用された聖書箇所を、必ずよく見てから、説明に入って戴きたい。
 この訳には、比較的「これに間違いないだろう」と研究者の間で意見の一致が強いものが集められているという。しかし、実のところ、よく分からないものも多々あるのだ。もし本書が、「これはこの植物だ」と断定する言い方で終始していたら、私は魅力を感じなかったであろう。慎重に、これこれとする学者が多い、というような書き方がなされていたからこそ、むしろ信用することができるのだ。自分の思い込みですぐにまちがいないと断定するのは、学的な態度ではないのだ。
 聖書の物語にどのような意味で使われているか、それももちろんある。だが、この偉大な植物学者夫妻は、聖書の中での意味だけで説明を終わるつもりはない。その植物自体の性質や原産地、あるいは中東に現れた年代など、凡ゆる植物学的な情報をもちこんでくる。ときにはギリシア神話もふんだんに登場し、その植物が如何に人類に注目されていたかをも示す。どうやって食べるか、どんな味か、似た仲間のものとの違いについての説明を忘れない。人類はどのようにそれと付き合ってきたか、どんな効能があるのか、生長の具合はどうか、あらゆる情報が詰め込まれてくる。だから、叙述の型式などはないのだ。
 ヘブライ語、ギリシア語などについても、カタカナ読みを含めてたくさん示し、何か調べようとする人の助けにもなるし、現代のとある植物との関係も感じさせてくれることがあり、また呼び名は同じでも違うものだと釘を刺すこともある。実に豊富な内容なのだ。
 とにかく読んで面白い。飢饉のときに食べたとかいう「鳩の糞」はたぶん植物の名であろうとか、洗礼者ヨハネの食べていたイナゴは、イナゴマメらしいとか、驚くような知識が飛び込んでくる。尤も、本書の刊行は元来1952年である。その後の研究により、覆った常識もあるだろうし、もしかするとこれは誤りだと今はされていることがあるかもしれない。それでも、本書はとにかく読んでいて面白い。調べるのではなく、読むことをお勧めしたい。
 当時大麦は貧しい人のもので、ビールの製法はいまのようにはなかったであろうとか、当時「庭」と呼ばれていたのは、自然の茂みであったことだろうとか、心に留まる知識が多い。「パラ」とあったら、恐らくキョウチクトウだろうとか、毒麦は今はよく分からないという意見が強いが、本書では、かなり詳しく書かれていて、何がどう毒なのかもよく分かる。
 創世記から登場する命の木にはザクロかという言い伝えがあり、知恵の木はイチジクかも知れない、というような点は、確かに伝説であるかもしれないが、伝説は伝説と断りながら書かれてあって、読んでいて楽しい。また、レバノン杉の叙述に於いては、自然破壊をする者に対して、非常に強い怒りが述べられていたことも心に残る。
 学名などもきっちり記されているため、これは確かに植物学の本である。しかし同時に、聖書にまつわる優れた読み物でもある。機会があったらご覧戴きたい。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります