本

『聖書翻訳を語る』

ホンとの本

『聖書翻訳を語る』
新日本聖書刊行会編
いのちのことば社
\1000+
2019.1.

 その名も「新改訳2017」と名づけられた、新改訳聖書としては久しぶりの改訂版が2017年に出版された。1970年からの歴史をもつ新改訳聖書は、2003年に比較的大がかりな改訂が行われたが、今回はさらに一新した訳し直しとも言える作業を行ったことになる。もちろんそれは、従来の新改訳聖書の味を一変したわけではないが、翻訳という考えが半世紀近くたつ中で変遷してきたことを踏まえ、根本的に検討を重ねたのだという。そのため、理念的なところから新たな視点を定め、殆どと言える節に何らかの手が加えられたのだという。中には、従来の訳と全く違うようにされたものもたくさんある。
 本書は、「何を、どう変えたのか」の解説書である。信者としては、たんに新しい聖書ですと渡され、何がどうか変わったのかはあまり感じることなく、なんとなくまた読んでいくことが多いかもしれないが、一部暗誦している聖句があるならば、実際開いてみると、おや少し違う、と思われることがあるかもしれない。
 だが、今回旧新約全体の検討ということで、一貫した方針のもと、確かに大きな変化があるというのは確かである。
 従来の、聖書信仰と呼ぶ事柄については同じである。これを変更すると、もはや新改訳聖書ではなくなる。原典に忠実、という触れ込みはどの聖書も行うが、実のところ聖書の原典とは何かというところでは当然議論があり、ここにある底本を決めているとしても、それを変えているところは必ずある。こうなると、忠実という言葉の定義が必要になろうかと思われる。体のいい宣伝文句のようにならなければよいがと思う。
 原文が透けて見えるような翻訳を心がけたといい、用語としてトランスパレントという言葉が遣われる。心がけられているのはたぶん、詩文のようだ。詩編の詩が、日本語で論文調に見えると、内容は伝えられているかもしれないが、詩文としての味わいがなくなる。しかし外国語の韻文や芸術的詩を翻訳するというのは、並大抵のことではない。何かしら犠牲にしなければならないことがあるはずだが、このあたりの事情も本書はよく説明してくれている。とにかく、何を考えているのか分からないというのでなく、翻訳方針や、そこをどうしてそう訳したのかの説明があるというのは、よいことだ。本書は広く読まれて然るべきものとして、価格を最低に抑えてあるのではないかと思う。
 また、新しい時代の日本語の事情も十分鑑みて、近年の語彙にすべきところを検討し、誤解がないように配慮をした、ともいう。こうした方針は本書の最初に並べられており、読者も把握しやすい。
 おもに前版と新訳とを並べ、どう変えたのかを比較することにより、その理由を説明する、というスタイルが本書の基本である。時に従来の他の日本語訳聖書とも比較して、新しい翻訳の特徴や考え方を際立つようにもしている。このような比較は確かにありがたいし、分かりやすい。こうして比較することで、私たちは、新改訳2017の是非を問題にすることもできるが、それよりも、聖書の翻訳とは何か、ということを学ぶことができるように思う。また、そのように本書を用いるべきだとも考える。結果的に本書は、新改訳2017の弁明書のような体裁になっている。当然訳者側としては、これが最善と信じて世に送っているのだから、その説明となると、この考え方が最も良いと考えている様子が基本的なスタイルになるはずである。時に、どうしてもやむを得ないのでこのようにした、という書き方もしてあるが、概して、こうすべきだと考えた弁明が記されている。それはそれでいい。
 特に、旧約聖書のヘブル語についての解説が多く載せられていて、私はその点知識が薄いので、言われるままに読んでいくよりほかないのだが、確かに勉強になるとは思った。しかし、かのような原則を掲げながらも、一筋縄ではいかないところが聖書というもので、時に訳出者たちの都合や解釈により、原則を曲げねばならないような場面も出てくる。そういうのも本書によく説明してあると思うので、大きく掲げた原則どおりではないじゃないか、と批判したくなるときにも、本書の弁明を少し聞いてあげてもよいのではないかと思う。逆に言えば、そのような批判が生じないように、あまり大上段によさげな方針原則を掲げないほうがよいのではないか、と私は思うのだが。
 また、訳す側の解釈を押しつけるような翻訳も、実のところありうるし、本書を見ていてもそれは時折感じた。新共同訳も、カトリックの色濃く訳されている場面が多々見受けられるなどあったが、新改訳聖書はそうした共同訳ではないので、ますます「福音派」の理解が表に出されることになりかねない。いや、実際そうなっているところが必ずある。もちろん、なかなかよく訳されているところもあるとリベラルな研究者も感心する場面もあるのだが、そのあたりは価値観により見方が異なってくるだろう。
 私たちとしては、原典自体も揺れている現状と、私たちがすべて原語で見ないとだめだというような極論のことを鑑みて、できるだけ多くの日本語訳聖書を並べて見て、比較対照するのが、できるかぎりのベストと言えるのではないかというふうに思う。新改訳2017を絶対視するのではなく、また無視するのでもなく、聖書理解のひとつとして、用いるべきではないかと思われる。
 新改訳聖書は、その版権などを巡り、これまでトラブルを繰り返してきた。いまは落ち着いているのだろうが、安定した提言をしていってほしいと思う。また、これが唯一絶対の訳だ、というような姿勢をもつでなく、信仰の成長と拡大を祈りつつ、本書のような説明やら弁明やらをまた送り続けてもらえると、聖書の意味を考える側としてはありがたいと思う。
 そしてもうひとつ、従来新改訳聖書は、その著作権についてあまりに狭い了見で動いてきた歴史があることについて申し上げたい。これまでネットの中で用いることについてあまりに厳しい制限をかけてきた点がこの新しい訳でどうなっているか、私はまだ確認していない。本としての著作権意識は大切なことであるが、聖書がひとを生かしいのちをもたらすものであるというときに、制作物だという点を少し譲歩して、五千人に配りなおあまりある祝福があったように、分けて与えることに制限を設けない方針を打ち出して戴ければと思う。これまでだと、ネットの中でさえ引用が憚られていたのである。また実際、ネット配布について厳しい目を向け措置を行っているのである。委員会の所有物のように扱うのでなく、可能なかぎり自由に流布できるような態度をとってほしいと心から願うのであるが、如何だろうか。




Takapan
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