本

『NEW 聖書翻訳 No.4(2018.7)』

ホンとの本

『NEW 聖書翻訳 No.4(2018.7)』
日本聖書協会
\1200+
2018.7.

 2018年に刊行予定の、日本聖書協会による新しい共同訳の聖書『聖書 聖書協会共同訳』はもう作業としては終わっているようなところであろうか。携わる方々の中から、この聖書そのものの訳を持ち出すかどうかは別として、聖書の翻訳ということについて考えていること、知ってほしいことなど、高度な論考を集めた論集である。
 類したものに、「聖書事業懇談会講演録」というのがあるが、こちらは講演内容であり、聞いて分かるもの、つまりお話である。本書は学術的な価値を主眼とした内容となっており、いわばハードボイルドである。
 今回も「脇」「イディオム」「ヨハネ1:1-5の新解釈」「読点」といったマニアックとも言えるような観点がありまた古い翻訳について資料が見出されたことへの論究など、なかなか一般の方々の関心を呼び起こすとまではいかないようなものが並んでいる。自然、本としては価格が高く設定されてしまうのだが、私は楽しみに感じる性格である。
 脇というのは、創世記でエバがアダムの「あばら骨」からつくられた、とされている箇所についてである。どうもあれを「あばら骨」と訳すのには無理があるのではないか、ということで、その語は聖書の他の個所などからして、「脇」であるとすべきではないのか、という主張である。こうしたことは通常の注解書などではお目にかかれないものであろう。それでいて、あばら骨が脇になってしまうと、これまで抱いていたイメージがずいぶんと違うものになってしまう。名画すら描き直さないといけないのか、という騒ぎになりそうでもある。女性が恋人に、私はあなたのあばら骨よ、などと口にしていたのが色あせていくとなると、これは恋愛観にも支障が出るかもしれない。
 イディオムは、今回は体の部分に限定しているが、たくさんの実例を並べている魅力がある。言いたいことは、慣用句を直訳するのがよいのか、それとも意味を汲みとって意訳するのがよいのか、という点についてである。主張としては、極力原文の言葉を表に出して、元来有していた豊かなイメージを勝手に変えないほうがよいのではないか、というところであろうか。これは私も賛成である。しかしどうしてもなじまない表現はあるし、結局言いたいことはこれだよ、という点もあるので、注釈なり括弧付けなり、それなりに伝える努力はしていたほうがよいのではないか、とも思う。やはり元の語がそれであるからこそ、というこめられた内容があり、抱かせたいイメージもあるだろう。つまりはこういうことね、で済ましていては見落としてしまうものもあるだろう。
 ヨハネ伝冒頭の議論は、ギリシア語の原版の改訂に基づく面もあるが、釈義にも関わることであり、されていることはやはり釈義でもあった。説教が形作られていくときには、大きな変化を伴うかもしれない改訂であり、また解釈の視点となるであろう。そして、ここにあるのはロゴスという語の規定に関わるものであるから、もしかするとヨハネ福音書全体の理解の変化にも及ぶような大きな理解の変更となりかねない視点でもある。ひとつの刺激として受け止め、改めてヨハネ伝とは何か、ロゴスとは、といった問いを自分の中に見出して受け止めていきたいものだと思う。
 読点は、ただただ凄い。口語訳と新共同訳の「読点」の数を挙げた。これはもちろん翻訳上の問題そのものである。それも、語意というよりは、表記上の問題。確かに、これは違和感を抱いていた。聖書は日本語の標準をつくる、というほどにまでは日本では影響力をもたないが、その時代の日本語のひとつの模範として機能しなかったわけではない。その中で、読点というものをどのように文章の中で使うかについて、モデルを示してきたわけである。日本語の中に確実な記号の表記法というものは存在しないのであるから、民間で用いられ、あるいは新聞社などが標準を考え、文学者が提案して、というように広まっていく構造があったと思われるが、その中で聖書も一役買うものであることを感じた。突貫工事的につくられた口語訳には多少の乱れが観られるが、実は新共同訳も、共同訳からの変更に伴い、かなり焦って完成した経緯がある。だから、検索をかけてみると分かるが、同じ語でも漢字表記とひらがな表記とが混在しているし、明らかに同じ語であるだろうところが不自然に別の語になっているという点も見出される。新しい2018年の聖書ではそのあたりは解消されているのではないかと期待するが、そうした向きへの反省としても、この「読点」の統計は興味深い。また、個々人の好みも聖書に左右されることがあるし、またその逆もあるわけで、日本語表記そのものがこうして検討されるということになる。非常に面白い企画というか、論考であった。
 このように、内容が濃いのだが、如何せん、興味をお持ちでない方には、まったくどうでもよいようなことであるかもしれない。しかしこの新しいものを偶々手にとって、私は自分がこうしたことが好きなのだと改めて感じたので、機会があれば古いものも読んでみたいと思うようになった。




Takapan
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