本

『聖書を語る』

ホンとの本

『聖書を語る』
中村うさぎ・佐藤優
文藝春秋
\1350
2011.7.

 キリスト教に関する話題であり、神学科を出て聖書を解説するような題材の本であっても、さて、クリスチャンにお勧めできるかどうか、となると様々である。最近様々な出版で活躍しているこの佐藤優氏については、やはり気をつけたほうがいい、と付け加えざるをえない。それは、この人が間違っているとか、けしからんとかいう意味ではない。信じた心の柔らかいクリスチャンには灰汁が強すぎる、刺激が強すぎる、ということだ。その点、人類の様々な思想の種類を概観くらいはしており、自身キリスト教に対して刃を剥いていたような人間である私のようにひねくれたクリスチャンであれば、どんなに過激な意見であろうと、そこに一定の論拠がある限りは、静かに聞くくらいの態度が取れる。だが、信仰を形作ろうとしている人にとっては、何かとよい影響を与えないことだろう。さしあたり、今はまだ読まなくてよい、と言っておきたいと考えるのだ。
 本の表紙はいわば聖画。ステンドグラスである。そして「宗教は震災後の日本を救えるか」とサブタイトルが見える。これなら、この大震災のことを考えないクリスチャンは少なくとも日本にはいないと思われるから、手を取ってみたくなるであろう。もし著者たちのことをよく知らないとすれば。それで、老婆心ながら、長く引きずって呟いてみた。
 さて、それではこれは間違いでしかないか、不健全なのか、というと、私は端的に評すると、「面白い」と思う。その面白さがあるがために、佐藤氏の本は確かによく売れ、また評判になっているのである。
 お二人の対談で進んでいく本である。文学色の濃い中盤は、1年前の「オール讀物」の内容であるが、それをはさむこの本の多くの部分は、書きおろしならぬ「語りおろし」なのだそうだ。キリスト教に関連して、より多くの話題に触れて対談することにより、この雑誌掲載部分で触れた事柄についてのバックボーンがはっきりする、と考えられたのかもしれない。そういう意味で、よい効果を出していると私も思う。
 お二人はいろいろ批判をするかもしれないが、信者というものは、神を主語にして世界を捉えるものである。もはや自分自身に対して信頼するものなどないと自覚しているからだろうか、自分を主語にして世界を述語に持ってくることに罪性をすら覚えるものである。だが、この二人は違う。つねに自分という主語から世界を見、神を見る。結局、この主語から始まるならば何についてどのように言い述べたとしても、突き詰めていけばこの本で二人で同意しているような方向に向かう運命にあるだろうと感じる。だが、この二人はクリスチャンである。神学者の一面をもっている佐藤氏と、洗礼も受けている中村氏。教会で、あるいはミッションスクールで学んでおり、キリスト教の考え方にどっぷりと浸って若い時期を過ごしている。カルヴァンかバプテストかの違いは、中に記されているように大きな違いではあるのだが、それを互いに補いつつ、この世界をなんとか解釈しようとする話の展開は、なかなか趣がある。つまり、面白い。全く「よい子」ではないお二人だからこそ、言い得ることもある。ずいぶん過激な発言があっても、観客として読者は、それを面白がっていればよい。つまり、自分自身の足場について揺らされることがないのであれば、それは全く無害なのである。
 文学に造詣の深い二人であり、その意味では失礼かもしれないが、碩学あるいは博学の佐藤氏の話に、中村氏が実によく理解を示し、咀嚼しているという点が印象的である。ずいぶんと頭のよい方なのだと感心する。分からないことをポンと分からないと言い返すことのできる点が、女性のひとつの強さなのだろうと私は秘かに考えているが、中村氏もそうであり、知らないよ、と相手に説明させておいて、その瞬間ちゃんとその説明を完全に噛み砕いて自分の血や肉にしてしまっている。その意味で、実に対談として形になったものなのである。私は、それを面白い、と思った。
 肝腎の震災の話はどうなっただろうか。被災者を思いやり、被災者を助けるにはどうすればよいか、などといった心情的なものはここにはない。実にドライな、神と震災との関係を眺めたようなことで進んでいくのであるが、相変わらず主眼というか視点そのものは、人間にあるままである。まだ菅直人首相時代の出版であるが、佐藤氏は持論である、この首相のもとに統一された力強い国体を期待している。はたして人間でなければそういうシンボルは務まらないのか、としきりに心配する中村氏に対して、返答をし行動を見せるにはさしあたり人間であったほうが相応しいと佐藤氏は返す。政治的にかなり特異な経験をしてきた佐藤氏のことであり、独特の視点がそこにはあるのだが、そういった背後のことも踏まえてこの対談を見ていると、また面白さを覚えることもあるだろう。
 中村氏は、新世紀エヴァンゲリオンに詳しい。そこにある思想性をこの宗教の問題と重ねてさかんに取り上げる。佐藤氏も見識の広さでは負けないが、この本では特に村上春樹の『1Q84』を詳しく取り上げる。中村氏はそれは根本的にダメな部分があると言いながら、佐藤氏は欠点を認めつつも、面白かったという思いを強調する。言うなれば、私もこの対談についての印象は、佐藤氏のように、面白いということである。同時に、中村氏のように、基本的に相容れない部分も当然ある。神は死んだというのは、一部の人の思想ではあっても、神を主語とする人々の中では、全く意味をなさない世界観だということである。世間で、Aさんは死んだそうだ、といくら噂があったとしても、私の自宅でAさんが現に生活しているのであれば、その噂には何の意味もないのと同様である。
 ということで、取り扱いには注意したほうがよい本だというわけである。




Takapan
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