本

『福音主義神学入門・新装版』

ホンとの本

『福音主義神学入門・新装版』
カール・バルト
加藤常昭訳
新教出版社
\2200+
2003.8.

 カール・バルトの文章は読みづらい。私もカントで悩まされたが、ドイツ語のある種の伝統なのだろうか、文章が長く継がれるということに加えて、これを日本語にすると、さんざん引っ張ってきた挙句、「〜ではなく、」と否定され、また新たに肯定的な見解が続いていくので、向き合いながら、けっこう疲れるものである。今回加藤常昭先生の訳は、訳文としては申し分なくこなれており、その点だいぶ緩和された気がするのだが、それにしても、バルトの文章は、癖がある。
 しかし、そんなふうにぼやく私でも、本書は、その文章の不条理さを苦にすることが殆どなかった。内容が、ぐんぐん伝わってきたのである。
 バルト晩年の講義録ということで、学生相手に語る内容がまとめられているため、分かりやすいのだ、とすることもできる。しかし、思うに、これはテーマが「福音主義」である。何がバルトにとり福音であるのか。そもそも福音を問い直して基礎づけると、どういう議論になるのか。そんなことも、ある程度の身構えが、読者にはできる。私にとり福音理解は、バルトと正反対だというわけではないであうから、そういう面からも、楽しく読み進むことかできたのではないかと思っている。
 バルト研究者であるとか、神学の歴史を論文にするとかいうことに追われていない読者は自由である。これをどう受け取ろうと構わないからである。自分にとり楽しいように、自分にとり有益なように読むことが許される。
 神学を営むというのはどういうことか。どういう覚悟が必要なのか。それは気楽にできることではない。また、口先の理論を滑らせていくことでもない。神学を行う者の信仰はどこにあるのか。どうでありたいか。また、そこにはどのような危険が潜んでいるのか。そして、神学者に必要な祈りとは何であるのか。どんな奉仕をなし、そこにどんな愛が実現していくというのか。
 まことに、クリスチャンの教会生活にとり欠かせない指摘でいるように思えないだろうか。クリスチャンが、教会の中でどんな立ち位置で動いていくのか、信仰を考えればよいのか、そういう知恵を頭に置いて読み進めると、かなり「読める」のである。
 たしかに、神学にはある種の危険が伴うであろう。どんなに孤独に耐えなければならないか。試練が待ち受けていることを覚悟しなければならないだろう。しかしまた、それに忍耐で応えるならば、人間の無力さを痛感する中で、神自身が希望として現れることであろう。私たちは、キリストに目を注ぎ、そこから離れてはならない。そうすれば、言葉にできない大きな喜びが与えられることだろう。
 結局のところ、イエス・キリストの愛にしか、探究はたどり着けない。だから本書も、福音という言葉がメインに立ち上がっている。私たちがもしそのような信仰を持っているならば、怯むことなく、遠慮する必要なく、勇気をもって、歩もうではないか。果たしてそれが福音であるかどうか、はさしあたり問わなくてよいだろう。いつも喜んでいることが、福音を知っていることであり、その喜びがまた証しとなるであろう。




Takapan
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