本

『教会と国家T』

ホンとの本

『教会と国家T』
カール・バルト
天野有訳
新教出版社
\1890
2011.3.

 文庫本である。カール・バルト著作集といきたいが、当然厖大なものになるため、これは「バルト・セレクション」のシリーズとなっている。2010年から公刊が始まり、これが2冊目。全七冊が予定されており、これは第4巻の扱いとなっている。以前、ここでは1冊目の『聖書と説教』について触れた。
 聖書の福音を真正面から語った前回とは異なり、今回は非常に社会性の強いものが集められている。もちろん、そういう主旨でこの巻が組まれているからよいのだが、読んでいて実に重いものを感じて仕方がならない。
 社会現象、とくに政治イデオロギーに足を踏み入れると、後世の評価に大きく関わってくることがある。その制度の支持に自分の神学があると重ねてしまうと、その制度自体の衰退あるいは否定が伴うことになってしまうと、神学そのものまでが否定されかねないからである。逆に、当時の常識たる政治に惑わされずその問題点を指摘し、あるいは闘争したとなると、予言的効果というか、後世の評価も高くなる可能性がある。ドラッカーなどは、その意味でも幸運を握っていた。
 ここにバルトは、明らかにナチスと闘っている。とくにこの中にある「今日の神学的実存!」は、大部にわたりながら短期間に書きあげ、脱稿後一週間を置かずして店頭に本が並んだといわれる。また、その日ヒトラーにこの本を送りつけている。教会は、ただ神の言葉に仕えるのであって、第三帝国の中で宣教することはあっても、第三帝国の下で宣教するものではない、と宣言している。ゲルマン人の優秀性を以て民衆を巻き込もうとしていた、翌年に総統と呼ばれるようになるこの男に対して、バルトは神の言葉の自由を高らかにうたう。すでにドイツの教会の一部は、この国民的政府に与する動きを示していた。バルトは福音主義なる教会を証ししなければならなかった。また、それを断行したという勇ましさがそこにあった。
 この勢いは、そのまま、ドイツ教会への「訣別」という文章に流れ、「決断としての宗教改革」と題する文章において、宗教改革の精神を受け継ぐ力を与えられて怯まない。
 この本には、この時代のものが後半に並び、前半には、1911年から1919年にかけての、社会運動とキリスト、聖書との関係を語るものらが集められている。聖書を専ら社会制度の側面において捉え、あるいは適用しようとするものであり、第一次世界大戦をはさんで社会的に苦難の渦からもがいていたドイツのありさまを強く繁栄しているように見える。その中でも、改革派の流れを汲むバルトが、聖書に、そして福音とされるものに、可能な限り忠実に従おうとしている姿勢には驚く。神学者としてのミッションは、些細でトリビア的な教義に埋没していたのではないのである。
 この通りに誰もが模範のように従えばよいというものではない。そうではなく、絶えず変化するこの時代の中で、自分が置かれた状況にあって、福音を軸としてぶれることなく、しかも時代の要請に貢献していく姿勢を貫くことを、学ぶことができるのではないかと思われる。私たちは、バルトを如何様にも読むことができる。ただ聖書だけを読んでいては、陥りがちな誤りの波にさらわれていくことになりかねない。ヒトラーに対して「悪魔」だと突きつけたようなこの叫びを通して、私たちは従うべき相手がただ神のみであること、そしてその神からの視点の中で自分自身を位置づけていくことが必要であることを、ひたすら意識していきたいものだと思うのである。




Takapan
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