本

『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』

ホンとの本

『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』
礒山雅
講談社学術文庫1991
\1230+
2010.4.

 バッハについての研究で有名な方なのだそうだ。そのマタイ受難曲についての著作は評判がよい。しかしそんなことを少しも知らずに、タイトルだけでもう読みたいと思わせ、実際にすぐに購入に走ったのだから、タイトルの魅力というのは大したものである。
 バッハはずっと好きだ。それをエヴァンゲリスト、福音する者、伝道者だと名づけるのであるから、益々この著作に期待をかけてしまった。もとより、音楽家のエピソードや音楽評論に詳しいわけではない。楽曲そのものについても、聞いていて心地よいということのほかには、何の知識もない。それが、本書についてはぐいぐいと読者の心を引き込んでいって、分かりやすさと奥深さとが見事に調和しているとしか思えないものとなった。
 芸術は、結果としての作品だけを受け止めて感じればよい、という考え方もある。しかしまた、それは人間が生みだしたものだとするならば、製作した人となり、またその作品が生まれるに至った過程などを知ることにより、味わい方がまた変わってくるという考え方もあるだろう。それに制約されない姿勢も見事だが、そこに人を覚えるのもしみじみとしたよいものがあるといえる。バッハの場合、私は作品として心地よいものを覚えていた。しかし、その背景をこうして知るという営みは、有意義だったと思っている。逆に、バッハの生涯やエピソードを知ることで音楽が分かった気になるというのは厳に慎まなければならないと思うが、自分の中で感じ方や注目的が与えられたとするならば、それはそれでうれしいことだ。
 本書はバッハの生涯を辿る。決して幸福な生い立ちではない。だが、音楽的な才能というか能力が備わっており、それを活かす途が与えられた。いろいろな人との出会いがあり、人との対立もあった。どうしても作曲家としてのバッハしか私などは意識しなかったが、その時代にはむしろ演奏家として名が知られていたのだという。しかし教会に雇われ、その儀式のために作曲をオリジナルで呈していくということで、膨大な作品群が生まれ、後世に伝わるようになった。いくら演奏が秀でていても、音の記録媒体がない時代では、私たちのそのバッハの演奏は伝わらないのだ。同様に、バッハの曲を演奏するにしてもその時代時代のスタイルがあり、19世紀までのものは私たちには分からないとしか言わざるをえない。尤も、その演奏スタイルについてはいくらかでも文献があったり、楽譜への書き込みがあったりするから、それを辿ればこうだったのではないかという推測は可能だという。音源も可能な限り遡れば、その前の時代とのつながりが推測可能な領域に入ってくるのだともいう。本書には、こうした古い音楽の歴史を探るためのヒントも充分に説明がなされ、紹介されている。これもありがたい。ただバッハについて研究したことを誇らしげに綴っているわけではないのだ。そもそも音楽を歴史に残すということについての意味や背景も、充分に教えてくれる。これがまた本書の魅力であるとも言えよう。
 バッハの生活が苦労が多かったことも伝え聞いている。もちろん貧乏極まりないとか、曲を作っても全く報い成られなかったとかいうことはない。しかし、家族を抱え、また時代的な問題もあるが、妻子を喪うなどの不幸の中で、なんとか給料の高い仕事を求めて各地のオルガニストの募集に応募していく様子もよく伝えてくれる。各地を巡り歩き、仕事のあるところへ移り、そこで要請されたテーマにより作品を遺しているのだ。
 喪われた楽譜もたくさんあると知る。バッハ研究家は、ほんとうに知りうるかぎりのバッハについての情報を集め、またそこに推測を入れ、推測からまた史料を探し見出すといった仕事を繰り返す。それにより、バッハの音楽についてもまた理解が深まるのだとしたら、そして新しい演奏家がバッハの新しい一面を知り、そこから新しい演奏を私たちにもたらしてくれるとしたら、私たちはなんと幸せなことだろうと思う。
 本書の多くは、1985年刊行のものを踏襲しているが、その後の研究により分かったことなどを含め、大幅な改訂を行っている。古い版のファンの人も、改めて入手して読む価値が充分にあると思う。特に、末章としておかれた「補章」に、20世紀におけるバッハ演奏の変遷がまた面白く、私たちに、どの演奏家にどのような特徴があるかを熱く伝えてくれるものとなった。グールドの演奏などは昔からFMでよく聞いて聞き慣れていたが、その特徴も特に意識せずにいたので、興味深かった。そしてこの補章には、哲学があるように見受けられた。いや、音楽研究家からすれば当たり前のことなのだが、いま私の心に強く響いたものがあったということだ。それは、音楽は再現芸術だということ。もちろんそれは当然だ。楽譜の上ではひとつの作品だが、それは演奏されなければ表現されないし私たちは知ることができない。演奏というものがなければ、作品と聴き手とを結びつけることはできない。演奏は時代と共に歩み、変化するものであるという、当たり前のことである。作品を聖書、聴き手を信仰者と置き換えると、ここに聖書をどう理解し、それに向き合い。生かされていくかというエッセンスが、シンプルに充分に盛り込まれて表されているではないか。
 それはともかく、音楽を味わうのに素晴らしい入口を与えてくれたという意味で、本書との出会いをうれしく思う。またバッハを聴こう。




Takapan
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