本

『聖書のかがく散歩』

ホンとの本

『聖書のかがく散歩』
堀内昭
聖公会出版
\1800+
2012.9.

 聖書を信仰書として読むのは正しいと思うし、聖書は科学を説明した本ではないと考える。どうしても進化論や地動説を持ち出して、宗教と科学を論じたくなる人もいるだろうが、問題はそういうことではない。
 だが、聖書は具体的な古代人の生活の中から描かれたものである。科学理論を標榜するものではないが、生活の知恵であれ何であれ、観察されたものは事実そう見えたものであり、生活の中で使われていた知恵である。そこには一定の理論なり根拠なりがあるものである。その中には、いまその背景や理由が解明されたものもあるが、いまだに謎めいているものもあるだろう。いまの科学的な記述方法では、聖書とは違う形で説明されるかもしれないが、逆にまた、現代の説明から聖書の中の現象の意味がよく分かるという場合もあるかもしれない。もちろん、それをあまりに理屈で語り、奇蹟と称されているものを謎解き解明のように決めつけてしまうのも問題である。時折そういう本がある。しかし、現代の説明と、聖書の記述とが一致していると決めることができないことは数多い。なにせ、聖書の記述は、当時のひとの言葉で、現象や出会いを述べたものであって、その記述の仕方そのものと対象との間の溝は想像でしか埋められないからである。しかし、物質名やその利用法は、けっこう今私たちも利用しているものであることがある。本書は、そうした注目の仕方をして、あるいは時に聖書から外れるようにしてでも、聖書に関わる物質について自由に思いを馳せてみようというものである。その意味でまさに「散歩」と呼ぶのが相応しい。
 著者は化学に詳しいので、物質については化学式や分子構造を持ち出す。私にも分からない部分が多いが、言っていることは理解できる。親切な説明だと思う。信仰をフォローしようという意図をごり押しはしないし、しかし聖書に出てくる物質や現象について、解説を施そうという親切な意図はありがたいと思う。
 そもそも、聖書が聖書であるひとつの背景には、それが具体的な歴史の中の出来事だという理解がある。抽象的な「教え」を垂れているものではない。イスラエル民族の歴史を導き、この世界の事物に強く関わる、はっきり言うとそれを神が創造したという前提から成り立つ一大ドラマである。この世界の事物を私たちがいま、科学という方法で説明するとすれば、聖書に描かれていることの幾多のことは、科学で説明されてよいのではないか。ただ、神の介入については、その限りではないというところだけ線引きをしておくならば、科学はむしろ、聖書を根拠づけるはたらきをもつことができるだろう。
 植物から動物、酒のような人工物から物質に至るまで、著者の知ること、調べられることについて、的確に教えてくれる教科書として、本書は読み応えがあるし、「へぇ」と学ぶことが沢山ある。科学の知識が多少求められることはあるものの、物質名の細かなところはさほど気にしなくても読み進めることができる。もちろん、分子構造を一つひとつ検討するような知識は私にもないので、生活に役立つ知識も含め、十分楽しませてもらった。
 本書にある写真は、できるかぎり自分で集めたものなのだそうである。安易にどこそこから引っ張ってくるのでなく、自ら出会った画像から説き明かしてくれるという、距離感もいい。手作り感のある本書は、私たちの生活をさらなる驚きで導いてくれることだろう。また、聖書の言葉もよく引かれるので、聖書にそのような記述があったのか、と目を開かれる方もいらっしゃるかもしれない。そう、聖書は隅々まで、具体的な事実から成り立っているのだ。また、表現が少し違うだけで、いまの私たちの身の回りの物質や出来事をそのままに述べていることに気づかされることもあるだろう。聖書は、ひとの生きたありさまの、生々しい記述なのである。そこに、生命を与えるものがあるとなると、聖書はなんと「生」に満ちて貫かれていることだろう。
 著者は多分明かしていないと思うが、タイトルの「かがく」が平仮名なのは、どうしてだろう。これを想像しながら読むのも、心地よい。




Takapan
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