本

『聖書事業懇談会講演録2』

ホンとの本

『聖書事業懇談会講演録2』
日本聖書協会
\400+
2018.8.

 2017年末にこの第一弾が出ており、私が以前にすでに紹介させて戴いた。そして2018年8月に、その第二弾が発行された。前回より少しだけ薄くなったが、同じ400円+税という安さはうれしいもの。日本聖書協会の新翻訳聖書が12月に発行予定で、それに携わる人々から幾人かが筆を揮っている。
 今回は先の発行時と違い、もう完成期にあった時期の講演である。訳文にしても、決定しているその内容が紹介されることが多くなっていた。中でも三つ目の講演は、新約聖書全般から、順を追って、目立つ改訂場所を過去の訳と比較しつつ、その根拠や評価を示すもので、目を見張るものがあった。
 そこには、新しい「聖書協会共同訳」を基に礼拝説教をするとなると、これまでとがらりと変わった話になると思われる、びっくりするような発表があった。私もかつて詳しく記したことがあるのだが、ギリシア語で「イエス・キリストの信」というように書かれているフレーズの属格の「の」についてである。従来の聖書は、殆どすべて「イエス・キリストへの信仰」という意味で訳していた。あるいは「イエス・キリストを信じる信仰」と説明するものもあった。信仰による義を語るには、この表現が相応しいものと見なされていたので、特にプロテスタント教会では、この訳でルター以降の輝かしい福音の歩みとして、ここから堂々と信仰によって救われるのだと語った。しかし、「聖書協会共同訳」ではこれを「イエス・キリストの信実」と訳したというのである。
 こうなると、主語がイエス・キリストであるから、さすがに「信仰」とは訳せなくなってしまっている。私たち人間がイエス・キリストを信仰するのと、イエス・キリストが(私たちへ示す)信実というのとでは、方向からしてまるで違う。従来の説教を一変する訳の変更であることは明白である。これまでの説教をそのまま繰り返すことができなくなった。新たな釈義のもとで、この新しい訳に基づく神学理解を、語る者が自分の中で作らなければならなくなった。
 もちろん、これは近年の研究成果によるものであって、気紛れでもないし、奇を衒ったわけでもない。本書に書かれているように「通説」と言ってしまってよいのかどうかは分からないが、「イエス・キリストの信実」という理解が広まってきているのは確かである。これを本文として取り上げる方針であるとこの講演では知らせている。ただし別訳として今回注釈を入れることにしているため、新改訳聖書のように、別訳として多少比較ができるようになった中での、本文決定であるのだという。
 本書か面白いのは、もちろんこの話題だけではない。そもそも日本での聖書翻訳の歴史を振り返りつつ、翻訳の方針にはどういう種類があるのかを説明するもの、シラ書を引用して翻訳事業の労苦と意義を受け止め未来への眼差しを強調するもの、そして文化的背景の検討により訳語を変更することを実例と共に示したりする講演内容を読むことができる。神が聖書の行間に隠れているという「かくれんぼ」の締め括りには思わず微笑みを浮かべてしまったし、「いなご」を「ばった」にするという変更には、今後の説教ばかりでなく解説書もずいぶん違ったものになるだろうなと案じた。
 いやはや、聖書にマニアックになれる者にとっては、予告編としてわくわくするようなブックレットである。新しい翻訳の覗き見をするにはもってこいであった。近年の研究について知るにも面白いし、翻訳の方法を学ぶにも適しているし、私は十分堪能させて戴いた。




Takapan
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