本

『アウグスティヌス』

ホンとの本

『アウグスティヌス』
H.チャドウィック
金子晴勇訳
教文館
\1700+
2004.2.

 読書の醍醐味は、世界が広がっていくのを感じるところにもある。一冊読めばそこから勧められるものや、指摘されたものが読みたくなる。というわけで、別のアウグスティヌスのものに、これが定評があると示されていたからには、見てみたくなる。
 だが、それで読むかどうかは分からない。あまりに効果であれば、それは神の示しではないものとして敬遠する。たまに、どうしても読みたく成る者もあるが。そして今回は、比較的安価で売られていたので取り寄せた。
 規模は大きくない。教文館なので、確かに信用が置けるということで、読み始めた。面白かったのは、元の所有者のメモを書いた紙が挟まれたままだったのだ。ひとつは食料品のリストの入ったレシートの裏にメモが書かれている。どれも本の中身の理解メモのようなものだ。東京の町田の教会の予算決算の書類をも裏紙としたメモに、ローマ皇帝が書き込まれている。こんなことは初めてだ。
 さて、本書に入らなければなるまい。アウグスティヌスについての碩学であろう、チャドウィックは初期キリスト教についての権威であるらしい。本書は学術書というよりは、アウグスティヌスの思想についてとにかく流れるように見せてくれる。どこかに力を入れているとか、通説に対してどうだとかいう訳ではないように見受けられ、また特定の問題について掘り下げていくというよりも、膨大なアウグスティヌスの著作から、休みなく語り続け、とめどなく川が流れていくという感じがする。
 しかし、強調点は幾度もくり返されるから、その一生を辿る記述の中でも、たとえばキケロにどれほど惚れ込んでいたか、マニ教にどう惹かれ、どう反発し、どこかまだ残存する者があったのか、そんなことも心に残る。プラトン主義者としても、取り入れる部分と、馴染まない部分があったはずだ。
 また、アウグスティヌスの性欲に関する意識というものも重視されていたように感じる。自身かつてどうだったかということも踏まえ、その後の思想の展開においても、それを他人事のようにシャットアウトするようなことはなかったようである。  普通キリスト教会においては、アウグスティヌスについて語るならば、母モニカの信仰との兼ね合いが強調されるものである。だが、本書は必ずしもそうではない。何か情的なものを感じさせるそのようなことも、文献の上から定かでないものについては引きずられることがなく、淡々と述べる。アウグスティヌスサイドに徹底した位置から、アウグスティヌスの至近距離においてその生活と思想を捕まえていく姿勢である。
 発見もあった。アウグスティヌスがヘブル語をも一度も学ばなかったことに、私は本書で気づかされた。こうした点は案外指摘から抜け落ちていることが多いのではないか。私がただ見落としていただけかもしれないけれども。また、アウグスティヌスが詩編はもちろんだが、音楽を愛していたことも教えられた。他方、自然科学に対してはさして関心を抱いていなかったことにも気づかされた。しかし幼児の行動は、人間性を理解するためによく研究されていたということも、面白く読ませてもらった。しかし女性に対しては、その性を軽蔑するような考え方を記しているということも、著者は明らかにしていく。暴力は好まないが、法や政府については、この世界において必要なものであるという認識をもっていた。時代や制度が違うとはいえ、私たちも足元を見て考えてよいのではないか。
 聖職者が結婚しないという考え方は、どうやらこの頃に定まってきたらしい。それは、修道院の共同生活の成立にも関わってくる。そもそも東西のローマ帝国が存在したかどうかという問題や、それを滅亡と呼ぶのは適切でないという考えなどはあるものの、一般的に考えて西ローマ帝国の終末をやがて迎えるこの時期、教会の中の勢力や組織の保持などについて、アウグスティヌスは必ずしも順風満帆に過ごしたわけではないが、論的に対峙して議論を深めていったことは、いまに影響を与える教義や、キリスト教神学に大きな影響を与えたものと見なすことができる。そのためにも、たとえばマリアを完全に神聖視するような態度ではなかったことも、示唆に富んでいるように思われる。
 当時からして、アウグスティヌスの思想に対する激しい批判もあったらしい。予定説のような考え方は反発を食らった。だが、後世、それが評価されるようにもなっていく。また、彼自身も、思想というものが生涯の中で発展していくことを基本としていた様子で、一度下した思想に拘泥することなく、常に新たに思索し、成長していくことをモットーとしていたらしいことも知る。歴史と現実の中に確かに立ち位置をもっていたアウグスティヌスのキリスト教に対する考えは、必ずしもユダヤ文化ではないものの影響を強く受けていたが、それが西洋キリスト教の基礎を成すことになったということが、現在の西洋優先のキリスト教思想となっていることに関わっていることは間違いない。お決まりのアウグスティヌス像ではなく、その著作の中から、私たちはもっとアウグスティヌスに関心をもってよいのではないかと思わされる。




Takapan
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