本

『今こそアーレントを読み直す』

ホンとの本

『今こそアーレントを読み直す』
仲正昌樹
講談社現代新書1996
\740+
2009.5.

 先に『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』をご紹介したが、それと一緒に購入した。先の本は、アーレントの生涯をよく伝えてくれた。その生い立ちをドラマチックに綴り、その都度周りの人との関係や、世間との軋轢などを教えてくれた。しかし本書には、そのような要素は全くなかった。これほど対照的でよいのだろうかと思われるほどに、同じ思想家を扱いながら、語るものが食い違った。
 どちらも大切である。だが私は、本書のほうが、アーレントという人に近づけたような気がした。何を考えていたのか。どのように考えていたのか。この世界を見て、何に警告を発していたのか。それが伝わりやすかったのは、私にとっては、間違いなく本書である。
 但し、著者も断っているように、それは著者の目から捉えたアーレントである。どこまでアーレントそのものであるかどうか、それは読者がまたいずれ調べてゆかねばならないだろう。とは言っても、私の目にはかなり公平な視点を以て記述してあるように思う。あるいはまた、現在の私が、アーレントの精神を受け継ぐとすれば、どのようにすればよいか、それを模索しようとしている著者の姿勢に賛同するかどうか、というところがポイントなのではあるだろう。
 もちろん、アーレントとは何者か、という点を蔑ろにして、そうした試みが始まってよいはずがない。序論というところでは、アーレントその人についての紹介するようなタイトルで挑む。が、そこでも、アーレントについて知ろうとする読者をいきなり裏切ることとなる。政治についてアーレントが、右でも左でもないということで、攻撃されやすい点に触れ、政治について何か分かったような顔をして雄弁であるような連中が、実は最も危険な考え方に陥っているのだ、という宣言をする。これは本書が一冊を通して、ただ1つ、読者に伝えたいことであることが、そのうち分かってくる。それは、全体主義への考察という大きな仕事をなしたアーレントの、最も目を光らせていた分野のまとめのようなものでもある。また、そこでアリストテレスとカントという二人の哲学者の名前をさりげなく出しているが、これも読者は気をつけておくとよい。この二人の思想との比較や、それを根柢に於いてのアーレントの思索が、本書の流れを作る大筋となるのである。
 そして「ひねくれたアーレントの刺激を受けて「私なりにひねくれる」ことを試みるつもりである」という宣言が、確かに本書のエッセンスなのであった。こうして、その後「悪」と「人間本性」と「自由」、そして「傍観者」というキーワードをそれぞれ掲げて、アーレントのことを語るというよりも、むしろアーレントと共に考えていこう、というのである。その意味では、物知りになるための読書ではなく、本書は共に哲学することを、読者に提言しているのだ、と言えることだろう。
 たとえば私も最初そうだったが、アーレントと言えば、アイヒマン裁判で悪の凡庸さを指摘したら、世界から酷評された、というような程度の知識しかもたれていない可能性がある。ユダヤ当局についての踏み込んだ指摘がそこにあったことも、さほど問題にされず、センセーショナルに、その斬新な指摘がワイドショー的に広まっていたのだ。その程度のことを聞きかじって、感情的にアーレントを小馬鹿にするような素人が巷にいることを知っている。私もまた、軽々しく人を批評してはならない戒めとすべきである。
 アーレントの見つめていたものは、何だったのだろう。本書は、アーレントの人生を横から見る訳ではない。アーレントが、物事や出来事の奥に何を見ていたか、何を見ようとしていたか、それを哲学的な眼差しで探る。それは著者の探り方である。読者として私は、そのガイドに沿って、できるだけ同じ景色を見たいと願うばかりである。そういうアドベンチャーに誘われていく、というのが本書の楽しみ方であるのだろう。そして、著者のガイドとしての才覚もさることながら、そもそもその冒険地を設置したアーレントそのものと出会いたいと思いたいわけである。
 もちろん、アーレントの提言が常にそのまま現代の政治や思想に適用できるかどうか、それは分からない。だが、その思想内容とは別に、そこから学ばなければならないことがあるとすれば、著者の言葉によれば「KYな態度」であろう。すでに死語かもしれない「KY」だが、周りの空気を読みそれに合わせて平然と正義一般の顔をしている、ということは、アーレントの指摘によれば、全体主義への参加であり、全体主義の創造であるのだろう。
 イエスの裁判で「十字架につけろ」と叫ぶ群衆の怒号が、私の頭の中には鳴り響く。かつてその中にいた自分を知るからこそ、正にその十字架による赦しが与えられる経験をした。しかし、いつの時代にも、どこにでも、その群衆がいる。「KY」でいることは、それとは必ず距離を置く、ということにほかならない。「画一性のメカニズム」にはまっている自らには、気づきにくい。否、そうじゃないぞ、と無闇に反抗することが正しいとは限らないが、アーレントを通じて、冷静な眼差しの大切さを知っておくことが必要だ、と強く思う。
 最後の最後に、「時流によって急かされるのが嫌な人」にこそ読んでもらえたら、という遠慮がちな著者の声があった。実は危険を逃れるために、これほど確信しておかねばならないことは、さほど多くないだろう。私はとんでもない加害者に、望まないでいても、知らず識らずのうちに、なってしまう――それを意識しないことが、怖いことなのである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります