『なぞとき赤毛のアン』
松本侑子
文春文庫
\850+
2025.5.
この著者の訳による「赤毛のアン」を最近読んだ。とにかくその注釈が見事だった。もちろん「全訳」という触れ込みもよかったが、聖書や文学の引用をすべて含め、しかもその出典や意味を解説するというところが、唯一無二の技であると感じたのだ。
本書は、その「赤毛のアン」の注釈を、さらに項目別にまとめたもの、という位置づけをすることができるだろうと思う。つまり、本文の中から解説を入れるというのではなく、項目の方から先に描き、本文を引用するという方向性をもつものだ。ある意味で、索引的な意味合いももつことができる試みであろう。
実は著者には、同類の本がすでにある。それは新書タイプではあるが、アンのシリーズ全体から、同様にまとめたものがあるのだ。だが私にとっては、「赤毛のアン」の第一弾のほかは未知の世界である。本書は、この第一弾にほぼ限定した形で引用と解説を加えている。アンに関する初心者にとっては、実にありがたい措置である。この一冊を読んでさえいれば、本書は存分に楽しめるというわけだ。
少しではあるが、カラー写真もある。小説の方にも写真は紹介されているが、白黒である。コストの面から仕方があるまい。だが本書は「なぞとき」である。少しでも色で説明すべきところ、色があるほうがよい点をそこに収めている。グリーン・ゲイブルズという名の如く、その緑もさることながら、ポイントになる「羊歯」の写真は確かに眩しい。アンの部屋のモデルもカラーなのがいいし、あのお茶会のラズベリー水とカシス酒は、やはり一度色合いを見てみたいところだ。濃さがかなり違うのだが、アンにとってはお酒というのは想像がつかない世界だったのだろう。
著者は繰り返し告げるし、本書の最初でも強烈に突きつけているのであるが、「赤毛のアン」を児童文学だという思い込みで見てはならない。これは高度な教養と大人の視点を描ききった、大人の小説なのだ。だからまた、とことんつきつめて細かな引用や背景を研究している。その研究は、インターネットがまだ使えないような時期から始まっており、著者は苦労して資料を集め、研究している。そのことだけを明かした本もあるので、またこの場でご紹介したいと思う。そして幾度か知れず現地を実際に訪ねており、写真もすべて自ら撮影したものである。どれだけ情熱と費用と時間を注ぎきったらできるのだろうか、という程の、訳であり、こうした資料である。
本文中はさすがに白黒ではあるが、最初の章は特に、物語に登場するポイントたる場所についての写真がたくさん紹介されている。
ギルバートの密かな愛は、物語でふんだんに表されているだろうが、マリラとマシューの愛は、文章での説明は殆どなされていない。だが著者は特に、マリラに姿に愛おしさを覚えているし、静かな愛としてマシューにはたまらない魅力を感じているようだ。それにはとても賛同できる。「赤毛のアン」は、この二人の兄妹の愛の物語だ、と言っても差し支えないほどなのだ。
本書の章は、続いて英文学の背景について、冗舌に語る。それから、キリスト教についても深く言及する。著者がクリスチャンだという話は聞いたことがない。だが、実によく理解している。村岡花子を紹介するときに、メソジスト教会というところまで触れることは、教会の外の人にはなかなかできないだろうと思うのだ。もちろんアンについて触れるときには、長老派教会のことを説明はしなければならない。また、この小説には政治的な背景や、ケルト文化についても触れるしかないのであるが、とにかく徹底しているとでも言うべきか、当時のキリスト教についても、非常に詳しく理解し、解説していて、安心して受け取ることができるのである。
途中、小さなQ&Aが並ぶ場を挟んで、生活の細々としたことについて一つひとつ解き明かしてくれる。植物や料理はもちろん当然だが、衣服や手芸も、小説の中では彩りと呼ぶにはもったいないほど、重要な役割を与えられているのである。
プリンス・エドワード島の歴史や背景も、改めて教えてくれると、当時の社会状況まで肯けるものとなるが、ここではそれよりも、自然環境や、アンが名づけた場所のこと、四季の風景まで説明してくれる。まことにありがたいガイドである。
こうして最後には、モンゴメリの生涯が、写真をも加えて語られる。そして「付録」と称して、「ナルニア国物語」との接点としてのケルト文化のことが詳しく付け加えられている。アスランの姿をキリストに見るのはもちろんのことだが、ルイスにしても、ケルト由来の妖精の類いを盛んに登場させている。アンの中にも、部分的にそれは出てくるのだ。もちろん、モンゴメリはやがて牧師夫人となる。立場もあるだろうし、長老派教会の教えに従うような描き方もきちんとしている。だから、私も驚いたが、結婚式は教会でするものではなかったということも、いろいろその時その場の文化や生活を知らなければ、こちらの思い込みで決めつけてしまうという危険性を感じた。
本書は、そうした細々としたこと、多分に調査する中で分かった様々なものを、たくさんちりばめてここに美味しいお菓子として提供してくれたのだ、というところではないだろうか。たぶん語っても語り尽くせないあれやこれやを、ばらまいてくれたことだろう。
この本は、他の本で触れた内容もいくらか取り入れながらも、加筆するなどして、新たな視点でまとめてくれた、珠玉のファン・ブックであると言えるだろう。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド