本

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』

ホンとの本

『アンのゆりかご 村岡花子の生涯』
村岡恵理
新潮文庫
\750+
2011.9.

 2014年春からの、NHK朝の連続ドラマは「花子とアン」であった。その原作とされるのがこの本である。ドラマが始まってすぐに読めば良かったのだが、ドラマが終わってから読んだというのは、なんだか時代遅れのような目で見られるかもしれない。しかし、この本はテレビのために書かれたのではない。もともと地味な出版であり、ひとりの女性作家の生涯を、その孫にあたる人がまとめたものである。事実に基づいているとは言えるが、文学的に華々しいものはない。
 そこでこの本についても、何か多大な期待をして読み始めた人もいるようで、ドラマチックな効果や文学的感動を期待して手にとって人の中には、つまらなかったという感想を漏らす人もいるようだった。
 だが、それは違う。
 同じ伝記的な本でも、ドラマチックに描くやり方もある。最近読んだもののなかでは、『負けんとき』がそうだった。ヴォーリズ夫人の生涯を描いたものだが、作品自体、ひとつの小説であった。読みやすいし、感情移入もしやすい。しかし、たしかにそれも史料に没頭した上で、できるだけ事実に即したものを劇的に描こうとしただけのものだ、と言えるかもしれないけれども、創作が混じっていることは避け得ないし、そのためか、細かなところで明らかな矛盾点も発生してしまう。素人の私にでも分かる矛盾点すらあったのだ。
 しかし、ドラマとしては盛り上がりに欠けるにしても、淡々と事実のみをつないで記述したものは、比較的信用がおけるものと思われる。もちろん、100%という保証はないに違いないが、わざわざ創作して演出しようという意図は基本的にないであろう。
 殊にこの場合、親族である。だからこそ面白くない、という冷たい読後感がインターネットにも挙げられているが、それはやはりお門違いと言えそうだ。できるだけ事実に合うように、そして親族であるからこそ知りうる空気のようなものも含めて、伝え遺すことができるような気がするのである。
 確かに、時期が前後することが多く、注意して読まないと、時間的順序で読み誤る可能性がある。しかし、あるテーマで描くとき、ある程度時間が前後するのは仕方のないことである。むしろすべてを時系列で描くと、年表としてはよいかもしれないが、何がどう影響してどうなったのか、という点で、ひじょうに読みづらいものとなるだろう。ある事柄についての場面をつないで読者に伝えるという意味では、そこは犠牲にしなければならない点であり、読者もそれを承知で読まねばならないはずである。非難の対象にはならない。
 さて、村岡花子さん。テレビドラマでは、クリスチャンとしての思いは、まるで描かれていなかった。というより、脚本家にその理解ができていなかった、と言ったほうがよい。NHKだから特定の宗教に、という理由はない。他のドラマではいくらでも、信仰を描いている。「花子とアン」については、皆無であったと言ってよい。「天国」とか「神さま」とかいう単語は出てきたことがあったが、日本人が普通名詞で使うような用法以上に意味がこめられているようには窺えなかった。意図的ではなく、脚本家が理解できず知りえない内容なのである。
 その点、この本は違う。クリスチャンの宣伝をするわけではないが、信仰ということについてきちんと触れられている。しかも、それは時に、信仰とは何かを問うものにもなっているし、花子さん自身が揺れていることなども書かれている。
 また、もちろんのことながら、NHKの朝ドラは別物の作品であって、原作にない登場人物が活躍したり、設定がかなり違ったりということは当たり前であるが、甲府と東京の関係しかなかったテレビとは違い、原作のほうには静岡がひとつの拠点となり、また実に多様な人間関係の中に置かれている様子が伝わってくる。
 そもそも、婦人参政権運動へこれほどに関わっていたというのは、テレビでは分からなかったことである。また、これはもう逐一挙げることは控えるが、有名人たちとあちこちで関わりがあるということに、度々「へええ」と感嘆するほどであった。賀川ハルさんとの関係は、ハルさんのことについての本で知ったが、澤田美喜との近さや、つい最近まで存命だった作家や運動家との深い関わりには、溜息が出そうなほどに驚いた。たんに私が知らなかった、ということなのかもしれないが。
 様々な出来事が死に至るまで描かれているが、そのテーマというものははっきりしており、その点を孫である恵理さんがよくぞ描いたと感心する。知れば知るほど深い人であり、活躍した賜物ある女性であったことを思う。但し、どうしてそのような思いを抱くようになったのか、どのようにしてその人と出会ったのか、そうした経緯については、描かれていないことも多い。やや唐突に、様々な人が現れ、事件が起こる印象がある。ここに、一部の読者は説明が足りない、と不満をもつのかもしれない。だが、結局のところ花子本人でなければ分からないことも多いのである。逆に、そこをあまりにもうまく説明してあるとすると、それは想像でつないでいるということになるのではないか。つまり、事実でないことをむやみに描いて説明しようとせず、時に理由が分からない行動や出会いについても、そのままこういうことがあったと描くことにより、内容の信憑性を増しているとは言えないだろうか。筆者が想像しているところは、それなりに分かるように記されているところを見ると、さしあたり本当のところと、推測するところとを、明確に分けて記そうという意図がありそうである。私はそれでよいと思う。筆者の想像を、さも事実そうであったかのように上手に描くと、物語としては面白いかもしれないが、記録としての価値は劣ることになる。この本の方法は、私にとっては、ありがたいと思うほかないのである。
 なお、巻末に20ページ余りにわたり、注釈が入れられている。本文に応じて参照するのが本来の使い方であろうとは思うが、ここに挙げられた人名や作品名、社会用語は、これだけで見事な戦前戦後の用語集である。歴史を知る上でも、ここだけを熟読することにより、歴史の学びにも、そして人の生き方を考える上にも、役立つことこの上ない。索引のように本文を探すためには若干力が及ばないが、優れた項目集である。これはお勧めだとしておきたい。




Takapan
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