本

『赤毛のアン論 八つの扉』

ホンとの本

『赤毛のアン論 八つの扉』
松本侑子
文春新書1475
\1150+
2024.11.

 どのタイミングで買って、どのタイミングで読むか、だけが問題であった。松本侑子訳の赤毛のアンシリーズ8冊を、すべて読んでからと決めていた。『謎解き 赤毛のアン』は、第一弾の『アン』に絞ったものだった。だがシリーズは8冊あり、その全般に関わる特質や背景というものについては、本書を待たねばならなかった。
 アンのシリーズには、たいてい「エピグラフ」が付せられている。その本を象徴する文句や詩である。本書の場合は「エピグラフ」とは呼ばないだろうが、「はじめに」にまずこのような引用がなされている。「人生にむかって、あなたの扉を次々と開くのよ、そうすれば、人生が入ってくるわ」と。これは第四巻『風柳荘のアン』にある言葉である。そして、この言葉が、本書を象徴しているのは言うまでもない。タイトルに「八つの扉」と付けたのはそのためである。章を、「扉」という形で、次々と開けてゆき、アンのシリーズを概観しようというのである。否、これは概観ではない。微に入り細を穿つ取り上げ方であり、そこに潜む大きなテーマや底流にある思想や感情などを、露わにする試みである。隠れていたものを露わにすることが、西洋の「真理」概念の基本である。私はそれを感じ取り、最初の2行でわくわくがとまらなくなった。
 この「はじめに」を閉じようとするところで、筆者は内容を全部列挙する。「本書『赤毛のアン論』は、シリーズ全八巻を、エピグラフと献辞、作中の英文学、スコットランド民族、ケルトと「アーサー王伝説」、キリスト教、プリンス・エドワード島の歴史、カナダの政治、翻訳とモンゴメリ学会という八つのテーマから解説したものです。」
 これで内容はすべて明らかにしたようなものである。シリーズを読み通し、その注釈たる訳者のノートを丁寧に読んできた私である。また、文春文庫にはその1冊毎に、詳しい解説があり、解説を読むだけで骨が折れるほどの量であった。否、筆者は解説を、これでも言い足りないと思いつつ、わくわくが止まらないままに綴っていたことだろう。幾ら喋っても尽きないという気持ちが伝わってくる解説であったし、それも丁寧に読んできた。だから、これらの列挙を見ただけで、本書が言おうとしていることは、検討がつく。
 と思った。だが、注釈の中では詳しく語れなかったものがひとつここに紛れ込んでいる。「アーサー王伝説」である。その物語全般を丁寧に記したという意味で、本書は大きな意義をもつものだと思う。私も、耳には聞くが、その内容については知らないに等しかった。だが、アンの物語によく出てくるというばかりでなく、その「ケルト」という鍵の中で、ケルトのアンを初め、物語の小道具のようなキャラクターや、そもそも登場人物が円卓の騎士になぞらえられているという謎解きなど、目を覚まさせる指摘が目白押しであった。
 架空の土地の名が混在しているのが特徴だが、そこにもケルトが鏤められているというのだ。思い入れの大きさを知ることができた。
 キリスト教についても、たいへんよく勉強され、ほぼ適切に解説がなされていると思った。目についたこととしては、新共同訳聖書を引用しておきながら、説明では「ペテロ」とか「イヴ」とかいう表記を使っているところである。しかし、狭い注釈の場所とは違い、ゆったりと論ずるように説くことができる本書では、系統的にたっぷりと、背景の知識とモンゴメリがどのように聖書を盛り込んでいるかについて、余すところなく語ってくれている。宗派の相違と、他のグループについてのいわば悪口も、物語の中でふんだんに見られるから、その辺りは教会関係者がしみじみと味わってみるとよいだろうと思う。
 政治についても、これだけまとまった頁が与えられると、当時の社会と政治のあり方について、丁寧に記すことができる。そしてその政治がどのように物語に反映されているかとうことや、さらにイギリスの事情でも、アメリカで出版されるが故の配慮など、実に細かく指摘がなされている。
 最後には、「翻訳とモンゴメリ学会」についてだが、これは赤毛のアンの物語の内容というよりも、訳者としての著者の背景をたっぷりと聞かせてくれる場所であった。どのようなきっかけで全文訳に挑むことになったのか、またそのときの様々な心理が語られる。元々十代のときに触れて魅入られたアンの物語の世界であるから、一ファンであったことは間違いない。だが、それを全部自分が訳すことになるというのは、思いつきでできることではない。あるとき英文の原文を見たときに、自分が慣れ親しんだ村岡花子訳ではお目にかかったことがない内容に気づいた。そこから、葛藤を含め、この仕事への力が与えられ、どうしてもしなければならないこととなったのだ。
 私は他にも、『赤毛のアンの翻訳物語』を見ている。これには、翻訳するに辺り、まだインターネットがようやく使われ始めたという時代の中で、どんなに苦労してパソコンを駆使して資料を調べたか、がたっぷりと示されている。当時のパソコンの用語がふんだんに出て来て、私は目頭が熱くなったが、どんなに時間と費用をかけて、資料を探し取り寄せたか、涙ぐましいその努力が溢れんばかりに記されている。
 本書では、その資料探しの苦労については、ついに殆ど書かれていない。もし関心をもたれたら、かの苦労話の本をご覧になるとよい。少しばかり当時のパソコンや通信のことを知る人であれば、著者の恐ろしいまでの執念のような努力を知ることができるであろう。
 この日本初の全文訳と、世界初の注釈入りのアンのシリーズは、もはや世界レベルの業績である。そのことが認められ、学会にも呼ばれている。そのような逸話が、この最後の章に詳しく書かれており、少しは別の箇所で聞いていたが、本書が最も詳しくて、よく情況が分かった。
 モンゴメリは、最初にアンの物語を出版して、最後にシリーズの完成を果たすまでには、30年ほどかかっている。著者も、その翻訳の時間に、同じくらいの時間を費やしている。だが、それを成し遂げるために用いた費用は、計り知れない。いまもカナダへのツアーを繰り返し、案内もしているとはいえ、とんでもなくエネルギッシュな活動を続けている。きっと今後も、翻訳や資料解説の修正を含め、さらなるモンゴメリとアンについての新たな発見を届けてくれるに違いない。本当に、お疲れさま、と言いたいところだが、まだ終わらないであろうことを、私は確信している。




Takapan
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