『赤毛のアン』
モンゴメリ
松本侑子新訳
文春文庫
\910+
2019.7.
昔読んだような気がしたが、2025年、テレビアニメ「アン・シャーリー」が始まり、読みたいと思った。アニメの宣伝の仕方が、物語の内容に反している、という指摘が話題になった。それがこの翻訳者の松本侑子さんからだった。かつてニュースステーションの天気予報を担当していた方だが、その後文学において才覚を発揮され、ここで「赤毛のアン」についての一つの権威となったように見える。
思い入れのある人が多いことだろう。しかし、どうしても少女小説と見られ、男性の読者が少ないのではないかという気がする。中にはそういう世界が大好きだという人もいるはずだが、私などは、アニメのようなものがきっかけになっているから、やはりアニメ化という意義は大きいはずだ。
ここで私は、ストーリーを追うことはしない。直に読んで戴きたいとしか言いようがないからだ。そこで、訳者の労苦について、以下綴ってゆこうと思う。
もちろん、訳者は、アニメを酷く非難したというわけではない。「赤毛のアン」を愛しているために、根柢的な矛盾には声を発さなければならなかったのだ。
訳者が如何に「赤毛のアン」を愛しているか。まずこれは「日本初の全文訳」だという。他の訳がどのくらい略しているかは知らないが、本書は確かに厚い。文庫本で500頁近くまでゆく。しかし、その後90頁ほど、註が続く。これは「訳者によるノート――『赤毛のアン』の謎解き」というタイトルになっている。私が本書を選んだのは、この註の故だった。珍しいと思ったのだ。そしてそこには、聖書の解説も多いけれども、とにかく英文学の引用や背景がふんだんに紹介されていて、実に細かい。
私は、それらは元々英米の研究書か訳かがあって、それを参考にして綴っているのだろう、というつもりで見ていた。しかし、最後の20頁ほどを占める「訳者あとがき」を見て驚いた。態度を改めた。これは全部、訳者の手によるものだったのだ。
全文訳というのは、集英社文庫により、2000年に出版されている。それも松本侑子氏によるものだ。今回、その後の研究により、翻訳の改訂と註の充実を以て、改めて文春文庫で発行されることとなった。この間、カナダを訪ね、原典にある細かな表現や自然環境などを実際に経験している。また、かつては本やファクシミリ写真などから探究しなければならなかったことでようやく見出した発見が、電子検索が可能になってさらに正確に改訂されてゆくようになったという。逆に言えば、インターネット検索なしに、元々はこれに近い註を用意していたのだ。そして、いまは逆に訳者のこの業績に基づいて、海外でも、注釈入りの「赤毛のアン」が発行されるようになったのだという。
どれほどの情熱を以て、また費用と時間をかけて、これだけの調査をしてくれたことか。それを思うと、千円ぽっちで読ませて戴くのが、たいへん申し訳ないような気がする。
白黒ではあるが、冒頭で、内容に関わる写真が幾つか挙げられている。もちろん註の中でも、言葉でできる最大限の努力により、それは伝えられているのであるが、写真の力は十分に発揮されている。
「訳者あとがき」には、簡潔にだが、たぶん十分に、モンゴメリの歩みが記され、また本書をどういう観点から読むとよいのかのアドバイスが告げられる。この解説は、必ず物語の読後に見るべきである。そうすれば、感動して観た映画の後から解説をされるように、一つひとつ納得しながら受け止めることができるだろう。原典を愛し、一つひとつ心を込めて訳し抜いた訳者だからこそ見えてくる風景を、惜しみなくファンに提供している、という感じがする。ああ、そうだったのか、とストンと胸に落ちるような指摘もある。それは決してネタバレとは思わない。アンの魅力をシェアするための、ファンクラブの報告のようなものである。
そこにはまた、訳の上で苦労したところ、判明しづらい点やその探究についてのエピソードも混じっている。また、村岡花子訳への最大級のリスペクトも盛られている。なにぶん、それによつて訳者は「赤毛のアン」の世界へ誘われたのだ。だが、その訳からは、聖書からの引用が多数削除されているという。村岡自身、クリスチャンとして、聖書に馴染みのない日本人のことを慮って、そうしたのだろう、と訳者は他の箇所で推測しているが、そうした場でも、とにかく村岡花子への敬愛は半端なものではない。
物語は、最後に「道の曲がり角」を迎える。訳者はそのことから、私たちの人生への道しるべを示す。この物語は、「人生を豊かにする物語」である、と言って、小さな祈りを添えて結ぶ。そしてここから、アンのシリーズのすべてにわたり、「全文訳」を果たしてゆくのである。そしてすべてに、同様の訳註がついているという。ああ、全部読みたくなった。
ただ、ひとつ残念なことがある。それは、これら膨大な註釈を、次に活かせないことだ。本文を読みながら註を参照することはできるが、たとえば聖書のマタイ伝の引用はどこにあったか、を調べることができないのである。要するに「索引」があったら、と願うのだ。文学作品名から、あるいは作家の名から、お菓子の名から、花の名前から、それがどこに載っていたのか、が分かる索引があったらいい、と思うのである。ただ、アンのシリーズ全体にこうした訳註が付いているので、「別冊」として「索引集」だけの文庫本を作ったらどうだろう。プラトン全集など、大きな全集には、こうした「索引」だけの巻がある。ここまで全文訳が揃ったならば、第何巻の何頁にある、と示すような「索引」があってもよいのではないか。読者は、シェイクスピアからの引用がどことどこにあるのか、たちまち知ることができるではないか。いやはや、願望に過ぎないが、これなら著者ではなく書店の作業員だけでもできないことはない。これは提案である。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド