『宗教のアメリカ』
藤本龍児
岩波新書2107
\1160+
2026.4.
意地の悪い見方をすると、2025年秋に発行された、中公新書の『福音派』がベストセラーとなったため、アメリカの宗教情況を知りたいというニーズに応えようとして、雨後の筍のように、その手の本が現れ始めたのだ、と説明することができるかもしれない。岩波よ、おまえもか、と言いたくなる人がいるかもしれない。
だが、中公新書が当たったから本書が企画された、というふうには考えなくてよいだろうと思う。本書は本書で、宗教社会学の講義をこの話題で幾度も学生に語ってきた著者が、アメリカが実に宗教で動いている、という構造を、人々が見ることができるようにつくられたものである。
ただ、アメリカが何かおかしくなってきている、ということは、もう誰の目にも明らかになってきた。何がおかしいのか。『福音派』が明らかにしたように、現大統領が数を得たのは、福音派の利害に合致したことが大きな力となっている。アメリカは、すでに西ヨーロッパがキリスト教信仰についてさびれてきたのと対照的に、何かと宗教が背景として動いているように、人々の目にも感じられるようになったのだ。それはいったいどういうことなんだ。誰かそのしくみを説明してくれないか。それが時代のニーズというものなのであろう。
さて、本書はそのタイトルが、大変不安定である。「アメリカの宗教」なら落ち着きがいい。「アメリカと宗教」というように置くと、内容に最も相応しい精神性をもつことができるようにも思う。だが、付けられた書名は、『宗教のアメリカ』なのである。
それは、本書を読み進む中でも、宗教というものが如何にアメリカを形成するのに役立ったのか、を考えさせるものであった。だが、それでも、『宗教のアメリカ』は、ふわふわとしたものを感じさせるし、レトリックでないとすれば、落ち着きのない言い方のように思えてならない。
とにかく、アメリカという存在の背後に「宗教」がある、ということについて言及してゆく。それを歴史的に辿り指摘することも怠らないが、まずは現在の立ち位置から見つめる。「無宗教が増えている」かのような報道がある。統計の結果が、そのように見えるからだ。確かに若者には「無宗教」が多くなった、というようなデータがある。だが、無宗教は無神論とは違う。これが、本書のスタートである。
日本人が「無宗教」などということも視野に入れるとよい。そう答える者が、墓参りはするし、初詣には行く。へたをするとチャペル型式で結婚式を挙げる。でも自分は宗教をもたない、と言う。いったい、宗教とは何なのだろう。
アメリカだと、たんに所属団体で活動していないだけで、スピリットの根底には根強くキリスト教がある。そして、それがいまなお歴史と政治を動かしている。
よく読まれた『福音派』は、キリスト教のある傾向のグループである福音派が、アメリカ政治のキャスティングボートを握っている、という点を中心に、その福音派とは何か、という点を中心に指摘する役割をもっていたように見える。対して本書は、そもそもアメリカの始まり――それは独立したときからさらに遡った、ピューリタン入植を基本とする――から、信仰が如何に支えてきたか、を丁寧に辿るのである。
ホーソーンの『緋文字』を例に、どういう文化精神が最初にアメリカを形成したかを指摘し、啓蒙主義でそれが形を変える様も目撃しながら、叙述は進む。日本のように、どうしても画一的な統率を求めるというのではなく、自由の国として、多様なありかたを保持しつつ、信仰が底流にある歴史がつくられてゆくのである。
それは、近代科学の時代をも、うまく乗りこなしてゆく。よく、創造論と進化論の対立図式を持ち出して、アメリカ人は進化論を否定する傾向にある、などとセンセーショナルに日本のマスコミや知識人が騒ぐことがあるが、そんなに単純なものではない。それは有神論と無神論との対立ではないのである。進化論の背後に神を見定めるというあり方が、実のところポピュラーである、という点を知るだけでも、私たちの見方は変わってくるのではないだろうか。
そして、隠れた要点に、リバイバル運動というものがあることを、本書は幾度となく指摘する。こういうことが、宗教に疎いがために平板な理論を掲げたがる日本の一部の知識人の扱えない項目である。どんなに政治的な変革の場面で、リバイバル運動がそれを起こし、支えてきたか、その眼差しは欠かすことができないであろう。
アメリカは、政教分離を打ち出した国である。いや、それはおかしい、と、これまた日本人の一部が騒ぎ出す。その単純論が全く気づかない、「宗教」という概念の持ち方についても、本書はきちんと述べている。こうして、本書は非常に学びの大きい一冊となっている。
本書のタイトル「宗教のアメリカ」という、言葉として不安定なもののもつ意味は、終章の最後の項目につまびらかにされる。ネタバレにもなるので、いまここでは触れない。読みながら、私なりにぼんやり見えてきた景色が、くっきりと映し出されたような思いで、本文を締め括ることになったと思う。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド