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『AI vs.教科書が読めない子どもたち』

ホンとの本

『AI vs.教科書が読めない子どもたち』
新井紀子
東洋経済新報社
\1500+
2018.15.

 そう言えば発行当時、話題になっていたような気がする。しかしAIについて強い関心がなかった自分は、本書に手を伸ばすことがなかった。それが一年余りたってから、別の本で触れられていたので、俄然読む気になった。それは、教育問題を取り扱っているからだった。
 とはいえ、実際に手にとってみると、前半を越えてもなお、AIの話だった。人工知能の原理を、どうかするとくどいくらい繰り返して紹介している。もちろん、著者にとってはそれが後半の伏線となっているからなのだが、もうAIについて言いたいことは分かったよ、と言いたくなっても、まだまだ続いていた。しかし教育のための本ではないので、それはそれでよいと思った。事は日本経済と日本社会全体を揺るがす大問題なのである。
 さて、急ぎすぎてしまった。数学者として著者は、人工知能にも関わってきた経験と、なによりも理論から、AIが特異なことと、苦手なことを初めから説く。マスコミなんぞは、AIをセンセーショナルに宣伝したいので、そして何よりもその記事を買って読ませようとするために、人々が飛びつきやすい宣伝の仕方をするというものだ。だからAIについてちょっとイメージするような、バラ色の世界か、あるいは逆に悲愴な筋書きをひろめてしまう。そのイメージが世間に広がり、既成事項になってしまう。しかしAIにはできないことがあるのであって、しかもそれがどのようなことか、という辺りを著者は丁寧に話し聞かせるように綴っていく。
 要するに、今後の社会を憂慮するのであるが、次のAI時代を正しく受けとめるためには、将来AIに取って代わられるようなことを人間が学んでも、失業するだけだ、というわけである。AIには苦手なこと、はっきり言うと原理的にできないことがある、それを人間がするような道を考えるべきだ、というのである。著者は、いわゆる東大ロボの開発に携わっている。というか、リードしている。すると、AIの仕組みを全部知っていることになるし、その開発により、どうしてもできないことに遭遇するというのである。現状では――2018年当初という意味だ――、東京の私大のうち、最高峰ではないが次に優秀だとされるMARCHの入試問題に挑んで合格するだけの力をAIがもつことは実現しているという。大学入試に挑む者の上位20%に相当するのだという。しかし、それ以上ができない。そのために、AIで用いられているプログラムの原理もきっちり説明する。
 このように、AIにはできることとできないこととがある。人間が自分の仕事として、AIが得意な分野についてスキルを上げてみても、明らかに負ける。AIに仕事を奪われること必定である。だから人間は今後、AIにはできないことをするように考えていくべきだというのが、著者が用意した筋である。なかなか世の中はこのことを分かってくれないから、本書を書いてそのことを知ってもらおうとしているのである。
 AIはプログラムなのであるから、数学的原理に従って動いている。それができることは、論理と確率と統計だけなのである。他方、AIに難しいこと、それは意味を考えるということだ。だから人間は、論理と確率と統計で賄えることはAIに任せ、意味を考えるほうに努めればまだよいのではないか、というのである。それは女性が切り拓くのではないかという予想も最後のほうで述べている。子育てなどの実践を含め、意味を考えながら対人関係を築いていくなど、女性が得意な分野、それこそがAIにできないことなのである、というのである。
 それはまだよいが、著者が憂えているのは、この意味を考えるという、人間に得意な場面である。中学生や高校生が、文章が読めていないというのである。つまり意味を考えるという行為に、悲愴な調査結果が出たというのである。それを調べるためのプログラムも、数学的手法で綿密に考えて作られている。有意味かそうでないかの判断ができるための、問題作成の技術まで披露してくれている。問題の一部が掲載されている。さすがに私は全部できた。が、ひっかかりそうなものも中にはあった。聞けば、記事を書くようなプロの記者や、学校の教師もかなり苦戦しているというのである。その問題は、ある状況を述べた分があり、このとき次のことは正しいかどうか、などの問題であり、問題の内容としては非常に分かりやすいものだと思う。しかし、ダメなのである。高校生は中学生よりもさすがに良い結果になる場合が多いが、中学生に至っては、なんでこの文章の意味が分からないのか、と嘆きたくなるくらい、悲しい結果となっている。これも統計的手法であるが、ただサイコロを転がして答えた場合と比較してどうかという意地悪な調べ方もしている。すると、一部の問題について中学生は、サイコロで決めた答えで当たる確率よりもずっと低い正解率しかないというのである。何も考えず転がして答えた場合よりも、真面目に考えて答えたほうが悪い成績になっているという、ショッキングな事実だ。
 文章が読めない。読解力が劣っている。それでも世界の中ではまだましだというそうだが、それにしても、簡単な論理と意味の理解が危うい。
 となれば、AIが苦手なところを、人間も苦手としている、つまりAIの苦手なところを補うための仕事も、人間には任せられないということになってしまう。少なくとも多くの労働者が、AIが仕事に参与する時代になったら、できることがなくなってしまうということなのだ。
 まだ状況の悲惨さが伝わっていないかもしれない。要するに、中学生には中学の教科書を読む読解力がない、という事実である。中には、教科書を読めば分かるやん、と言う生徒もいる。結局その生徒は、長時間格闘しなくても、読めば理解できるのだから、学習に良い成果を収めることになる。しかし多くの生徒が、読んでも分かっていないのである。読んで勉強しなさい、では勉強ができないのである。これは、将来契約文書の読解なり、マニュアルの読解なりという、生活上関わってくる文書読解の場で、全く何も分からないということになりかねない。著者はこれを憂えるのである。
 引用してよいかどうか分からないが、まだピンとこない方に、ここで用いられた問題の一つを引いてみようかと思う。この問題は、結果を調査して、その問題としての意義が確かであることまで確かめられている。
  エベレストは世界で最も高い山である。
右記の分に書かれたことが正しいとき、以下の文に書かれたことは正しいか。「正しい」、「まちがっている」、これだけからは「判断できない」のうちから答えなさい。
  エルブルス山はエベレストより低い。
 1 正しい  2 まちがっている  3 判断できない
 簡単すぎてせせら笑うだろうか。それではもう一つだけ引用させて戴く。
  Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある。
この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢の内から1つ選びなさい。
  Alexandraの愛称は (    ) である。
 1 Alex  2 Alexander  3 男性  4 女性
 言葉の意味が分からないものがあるとかのほかに、どうやら子どもたちはまともに文章を辿っておらず、適当に読み飛ばして雰囲気で考えているようだ、という著者の睨みである。後者の問題の場合、中学一年生の正解率が21%なのである。つまり、サイコロで選んだときの25%より低いのである。これが中三になっても正解率は51%。高校生でも三分の二は殆ど越えないありさまである。
 こうした文章読解力のままで大人へとなり、人の運命を左右するような仕事を担当するかもしれないと思うと、少しばかり怖くならないだろうか。などと言いつつも、著者も、これで子どもたちを貶めているわけではない。これをなんとか改善する方法はないか、と模索しているのである。そのために、本書の印税はすべてその研究のために用いると宣言している。それほど深刻で緊迫した問題だというのである。
 ちょちょっと説明して、書いてあることを読めばあとは分かる、と突き放す教師。私もそうだ。しかし、それでは実際伝わっていないのであることが分かってきた。音読するだけの授業で効果を挙げているケースもある。まさかそんなと思うかもしれないが、本書のような話を聞けば、音読だけで理解度が増すというのは、分からないでもない。つまりこれまでは、実は問題が解ける云々ではなく、そもそも問題が読めていなかったのである。
 経済についての未来予想図を著者は描く。それがどうなるかは私には全く分からない。AI社会が失業社会となるのかどうか、それも私には判然としない。ただ私は、子どもたちの読解力の衰えを肌で感じてきていたので、その点の背景を垣間見るような気がして有意義であった。実際教育者たちも、著者のこの問題に挑んだり、それを以て子どもたちがどこを分かっていないのかを知ろうとするわけである。なにしろ、教科書を読ませてみても、実は意味が分からないままでいるケースが多いということが発覚したのである。ちゃんと読みなさい、と親はよく言うが、当人はちゃんと読んでいるつもり。しかし実際、ちゃんとは読めていなかったというのが実態だ。そのことと、本書の指摘とは確かに重なるものであった。
 発行から時間が経ったので、AI能力も当時を遙かに凌駕していることだろうと思う。ますますAIの、意味は分からずとも統計的手法で解答を作るという方法は、正解率を高めているのではないか。すると益々、人間がそれに勝るところが見つからなくなるという危険性がある。
 電車の中でひたすらスマホゲームをしている大人たちを見ると、この憂いは現実にそうなるという選択肢しかなくなってくるような気がしてならない。




Takapan
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