本

『90分でわかるヴィトゲンシュタイン』

ホンとの本

『90分でわかるヴィトゲンシュタイン』
ポール・ストラザーン
浅見昇吾訳
青山出版社
\950+
1997.5.

 90分でわかるシリーズである。思想の背景・生涯と作品・結び・その人の言葉・哲学史年表・訳者あとがき……この形式はどの本も同じである。ただ、漫然と叙述がなされるのではなくて、ストラザーンが、この哲学者についての着眼点というものを、短い言葉でまとめきり、それを掲げ、そこへ至る紹介をしていくというために、どうかすると偏った見方を提供してしまうかもしれないが、読む上では大変分かりやすく、なじみやすい本として受け止められるのは確かである。その点、著述として実に巧い。
 ヴィトゲンシュタインの場合には、自分の思想に忠実に生きるという筋があるという。これは、多くの哲学者にとり、共通の内容であるかもしれない。ソクラテスも自分の思うままに生きまた死んだし、カントの生き方もそうだった。だが、ヴィトゲンシュタインの場合、自分のかつての哲学と全く違う別の哲学をまた後に表すということをしたが、それでもなお、自分の生き方そのものに矛盾もなく、忠実だったのだ、というところに味がある。本文の冒頭部分に、「一人の哲学者がまったく異なる二つの哲学を生みだすことは、きわめて稀である」とある。ライプニッツとてヴィトゲンシュタインしかいないのだ、という。読者はこれでまず惹かれる。その二つとは何なのか。一般に、論理哲学論考で哲学界に衝撃を与えたというヴィトゲンシュタインが知られているが、後にそれと全く違う言語ゲームを強調するようになっていくところに、それが現れているのだろう。著者はしかもこのことを、二度も哲学の息の根を止めようとしたのだ、と紹介する。こうなると、もう読まざるをえない。
 ヴィトゲンシュタインの生まれ育ちから入る。概して、その人の伝記を紹介しているかのようだ。その中で、時にその思想が詳しく語り続けられることがあるという形だ。
 自殺願望が、その家族の中に背景があること、さらに後には同性愛の問題や、世捨て人のような生き方をしていった様など、知られてはいるが私などには曖昧な形でしか記憶されていなかったことが、いきいきと再現される。まるで目の前で映画を見ているかのように、ヴィトゲンシュタインの生涯が駆け抜けていく。実にドラマチックだ。
 彼が、後にこうまでも信仰にのめり込んでいたということは、私には新鮮であった。そのように聞いてはいても、どれほどのものであるか、あまり期待はしていなかった。ところがこの本によると、かなりの程度に入れ込んでいるのだ。こうした事態は、当然哲学思考にも影響を及ぼす。つまり、言語哲学という、およそ神とは関係のないような領域の思想世界のあり方が、可能性として、神学や信仰の問題を背景に捉えられ得ると言えるのではないだろうか、という模索が出てくるのである。
 ヴィトゲンシュタインの哲学への踏み込んだ問いかけもあるのはあるが、哲学論争を主題とした形で紹介していくものではない。やはりどこか伝記のようだ。だが、その生涯において生まれた思想は、生涯と切り離して検討すべきではない、という考え方もある。むしろ、その思想を、その生涯を知ることにより、さらに深く広く知るきっかけにするということもできるのだ。ある意味でそれは、哲学を学問から切り離すことになるかもしれない。そうなると、ヴィトゲンシュタインが望んだように、哲学はもう学問としては通用しないものとなってしまうことを意味するものなのかもしれない。しかしまた、それもまた、ひとつの哲学理解なのである。
 どきどきわくわくしながら、ひとつの映画を見るかのように、読んでいける。ここに私たちは、90分の映画を見終わるような感動をもつ。




Takapan
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