本

『90分でわかるサルトル』

ホンとの本

『90分でわかるサルトル』
ポール・ストラザーン
浅見昇吾訳
青山出版社
\1000+
1998.4.

 図書館にあるシリーズを続けて読んだもので、同じようなものが続くことをお許し願いたい。今回はサルトル。一世を風靡したサルトル思想であるが、ストラザーンの評は厳しく、歴史上最も人気があった哲学者てあるが、それは生きている間に限られる、というところから本書は始まる。
 それにしても、本シリーズで哲学者の生涯をたどるとき、この現代のトレンドを築いたサルトルでさえ、なんと人間的にはだらしなく、尊敬できないような姿として描かれるしかないのであろうか。ソクラテスは確かにいやらしい年寄りではあった。こんな人が巷にいたら、確かに嫌われることだろう。だが、その生き方について、尊敬する思いが私たちの心のどこかに生じることは否めない。カントは、一般的な印象よりはずいぶん楽しい売れっ子教授となっていった社交家であったはずだが、いい加減な人間だと見られる可能性はない。信頼のおけない人物のようには思えない。だがサルトルはどうだろう。私は、こうはなりたくないという反面教師のような対象に見えて仕方がない。誠実な人だというふうにはどうしても思えなくなる。少なくとも、本書の描き方はそうである。えてして現代思想の人物はそうなるのであろうか。性格がどうとか、やっていることが気に入らないとかいうのではない。人間として、尊敬できないタイプなのだ。
 著者は、ブルジョアという概念をひとつの鍵にして、サルトルを描いていく。それを否むような思想を語りながら、ブルジョア生まれで、ブルジョアの精神から抜けきっていないのではないかというようなスタンスである。あまり読んでいないので大きなことは言えないが、その小説を書いた背景や、女性に対する考え方や生き方、そういうことも余すところなく描かれていて、また時代に受け容れられていくときにどんなふうに心が動いたか、そんなところもやはり映画のように描かれていく。
 サルトルという人について、もしかすると偏見を抱かせるかもしれないが、人間的にも思想てきにも、こんなに短い時間で分かったようにさせてくれるというのは、著者の文才であることは間違いないが、伊達に「90分でわかる」とタイトルに付けられているのではないと認めざるをえない。
 マルクス主義に最後雪崩れ込んでいったサルトルの故か、今はもう誰も見向きもしないサルトルである。だからというわけではないが、逆に孤立化し頼るところをなくしたままの現代人にとり、サルトルの描いた実存の姿は、一度新鮮な思いで若い人々にも迎えられて然るべきではないかとも思う。その小説の数々が、顧みられてよいのではないか、とも思うのだ。
 ただ、そうするにしては、また現代はずいぶんと違う情況にあるのかもしれない。このネットワークとデジタルなつながりは、もはやサルトルの悩んだ世界像とは、うまく噛み合わないのかもしれない。
 少し切ない感じもする。




Takapan
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