本

『人生を導く5つの目的』

ホンとの本

『人生を導く5つの目的』
リック・ウォレン
尾山清仁訳
パーパス・ドリブン・ジャパン
\2500+
2004.6.

 アメリカの大統領とも関係がある、キリスト教指導者。その発言は政治をも動かすものとなっている。それがアメリカ合衆国という国である。
 この牧師は、その意味でも有名であり、ある意味で力をもっている。時に、そうした伝道者はパフォーマンス主体の存在となり、我欲に冒され、あるいは名誉欲に支配され、キリスト者としてもどうかと見られるようなスキャンダルに陥る場合すらあるのだが、リック・ウォレンは、1980年にサドルバック教会を建て、その後南部バプテスト系の大きな勢力となっていった。
 著書も多い。そして今回、そのうちのひとつに出会ったことで、ここにご紹介できることとなった。
 自己暗示のような、本来的自己の探求だとか、やる気を引き出す秘訣だとかいうような、元気をもたらす精神的プログラムが世の中にはたくさんある。宗教の名をつけながらも、そうした心理的な自己変革に傾いたものもあるだろう。ともすれば、このタイトルも、そのような意味合いに受け取られる可能性がないとも限らない。しかし、どうやらその心配なさそうだ。というのは、この本のアドバイスは、強いキリスト教信仰の原理に基づいているからだ。つまり、せっかく日本語になされているとはいえ、クリスチャンでない人が開いた、ああそうだなあ、と自分を変えていくことはまず難しいだろうと思われるのだ。
 信仰を強くする、そうしたひとつの導きであるようにも見える。聖書の言葉で、聖書信仰の精神で、実際的な生活の中でどう適用していくか、ということについて、実に系統的に、また事細かくここには記され、導かれていく。つまりは、信仰生活のために非常に適切な案内がなされていると思えるのだ。
 言葉も平易である。教会用語がないというわけではないが、いかにもの独特の言葉を連ねて形作っているわけではない。そもそも英語で福音が語られるとき、そこに使われている言葉は、日常的な言葉であると言われる。日本語では、独特の教会用語が形成され、それを駆使して説教がなされるとき、教会を初めて訪れた人との間に、高い壁を作っていると見られることがしばしばあるのと対照的である。だから、この本も、信仰心さえあるのならば、あるいは、聖書について一定の理解があるのであれば、意味を受け取ることについてはさほど問題花のである。また、聖書の引用も工夫がある。様々な聖書の訳を用いて、そのときのメッセージに馴染むような易しい言い換えがなされているのである。また、日本語訳もその空気を活かすために、従来の聖書の言葉を以て訳すのではなくて、著者の用いた意図を鑑みて英語からかなり自由な感覚で訳してある。だから、この聖書の言葉はあそこだ、と分かっても、ずいぶん言い方が違うものだという印象をもつであろう。しかし、それはただくだけて訳しているのではなく、聖書のスピリットというものを相応しく伝えるのに役立っているとしか思えないのだ。
 イエスも、譬えを用いたのは、分からない者には分からないのであろうが、地の民とも呼ばれた大衆が神のもとに導かれうるような、学的な教養や知識がなくても心にストンと落ちるように、語り続けたはずである。そのスピリットに沿っているように、この本は見える。聖書のお話を耳にしたことがある子どもでも、そういう意味なのか、と喜んで理解できるようなあり方をしているということである。
 生き方。生活。私たちの日常の中で、福音はどのように活きるのだろうか。学的な知識がふんだんにあっても、その口で隣人を呪い、自分のことはさておいてひとを非難し、少しの不安や試練にくよくよしているような生き方は、神の前に無力である。ただ、そういう弱さをかみしめて神の前に出るならば、またそれは違ってくる。日常的な事例をふんだんに取り上げ、しかも聖書に従って生きるためにどうすればよいのか、適切な道案内をしてくれるというのは、ありがたいことである。
 五つの目的。それは、ここでは具体的に挙げないことにする。40日に分けられ、一日10頁ほどの内容を、連日少しずつ読んでいけばよい。順番通りに読まなくてもよいというふうに言われているが、私はやはりこの順で味わって読んでいけばよいと思う。就寝前でよい。いくらかの時間、黙想のように、一項目を読んで祈って休む。そうした毎日が、聖書で馴染みのある40という数の日数を経て、私たちはきっと変えられていくことであろう。聖書そのものの言葉ではなくても、それの意味に目が開かれていくヒントが、あちこちに散ればめられている。この本が、全米で驚異的な部数を発行しているというように書かれているが、それも納得ができるものである。
 アメリカ自体、政治的にも倫理的にも、様々な問題を抱えている。この本が膨大な数読まれているとはいえ、それで世の中が変わったわけでもないかもしれない。どこか偽善のような振る舞いさえ感じさせることのある国柄でもある。しかし、この本が根底から何か道を拓くようなはたらきをもたらす可能性については、私は否定しないものである。ハードカバーでもあり、価格が高いとはまるで思われない。また繰り返し開いて、デボーションに用いることもできるはずである。この本には、書き込みができるバージョンや、最初の部分のダイジェスト版もあるという。せっかくの日本語である。同じことの繰り返しのような信仰生活を送っていると思われた方は、もっと変わる自分を体験できるのではないか、と私は考えている。




Takapan
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