本

『たった40分で誰でも必ず小説が書ける超ショートショート講座』

ホンとの本

『たった40分で誰でも必ず小説が書ける超ショートショート講座』
田丸雅智
WAVE出版
\1,200+
2020.4.

 ショート・ショートと聞けば、どうしても星新一の名を思い起こさずにはおれない。実に短い物語を、千以上も生み出し、鋭い切れ味の作品を世の中に印象づけた。本書の発行時から遡り、百年ほどの歴史をもつそうだが、ショートショートという表記がいまは通例のようだ。
 30代の著者は、このショートショートの分野で商業作品を出しているという。また、その書き方について各地で講座を開いているという。その著者が、まさにその書き方の指導をするというのが、本書の成り立ちである。テキストとしてまた講座で用いるのかもしれない。秘密をばらしてよいのだろうかといった余計な心配もしてしまうが、むしろその方が知られるようになってよいのだろう。
 そもそもショートショートとは何か、いくつか作品例を出してくる。それも、講座での「生徒」の作品を用いるならば、嫌味もないし、程よい刺激にもなるだろう。掲載されたほうも、励みになることだろう。
 気になったのは、どうしてショートショートがいいのか、という点で、読書をしなくなった現代の若者が、ほんの短いものだったら本を手に取ってくれるから、本が売れるならそこだろう、といったような思考法が紹介されていたところだ。本を世に出すというのに、儲からなくていい、などという綺麗事を言うつもりはないが、どうしても書きたいといった心からの叫びのようなものを求めるものがさらさらないというのでよいのか、私は引っかかってしまう。
 自由に書こう、という趣はいい。趣味をもってみたらいい、というのも結構なことだ。だが、ちょっとしたテクニックを身につけて、うまくいけば仕事になる、ということで書く、あるいは本を出す、それが今風であるのかどうかは知らないが、それが広まると、ますます、本というものが軽いものになっていかないだろうかと気を揉むのだ。
 繰り返すが、どういう文章の書き方があってもいいし、軽く書いてみるのはいいことだ。だが、ちょっとひとの気を引くような、思いついた奇想天外な一口話を書くのが楽しい、ということで最後まで引っ張っていく本書の中には、目指すものは中身がないのではないかと懸念するわけだ。まるで自分の見た夢を文章にしただけのような、あるいは本書で指導するように、思いついた言葉の関係をつなぐような場面をつくっていくだけの空想遊びのようなものを、作品として商業利用にもっていくだけというのは、あまりにも浅薄な試みでしかないような気がする。
 しかしそれがショートショートなのかもしれない。それならそれでいい。それでも、生徒の作品例として紹介したものを、著者が、これはすごい、これは立派だ、のような評価をしているものが、私にはどうしてもそうは感じられない場合が多々あった。最初のほうの例では、よく「神様」がでてきた。漠然と思い描いた神様は、要するに何でもできる能力があるものだから、物語に登場させれば、能力的になんでもさせることができる。それが何か不都合なことを呼ぶようなシチュエーションを見せれば、洒落た物語ができたような錯覚に陥るだろう。だが、はちゃめちゃでよく分からない展開をさせてオチがあれば、大したものだと評価するのは、どうにも解せない。むしろ、その作品例は、精神分析の領域からすれば、ある心理傾向や精神病の特徴を示すような例として挙げられそうなもののように感じられて仕方がないのである。つまり、自由にお話を作らせると、その人の潜在意識や表に出さないよくない思い、あるいは病的な部分があることを、分析家は知るのであるが、私にはこれらのショートショートが、その分析材料になるようなものではないかという気がしてならないのである。
 親切に、作成シートを教えてくれる。そこに、浮かんだアイディアをメモし、それらをつなぐようなプロセスが印刷されているから、その思考法で動かしていくと、ひと続きの短いストーリーができるというような、ちょっとしたストーリー工場のアルゴリズムのようなものによって、次々と、物語らしいショートショートが生産されていく、ということを本書は主眼としているように見える。
 そうなのだ。だからこそ、タイトルのように、「誰でも必ず小説が書ける」のだ。文章を書くのが苦手な人が、これで、自分が何か書けてうれしい、といったふうに思えて、自信がついていく、といった効果が生まれるのであれば、大いに評価する。そういうことのためには役立ててほしい。しかし、アルゴリズムに沿って物語が作れるのだぞ、といった程度にストーリーを甘くみるような向きには、警戒しなければならないと思うのである。
 こうした作品は、書いた本人は、名作だと思いがちなものである。つまり科学技術と異なり、良し悪しの基準が曖昧である。価値観の問題だして、自分では名作だ、他人は見る目がない、いった思考法に陥る可能性を常に秘めているというわけである。もし著者が、売れれば名作だ、という価値観だけで動いているのであれば、私は賛同しない。悪貨は良貨を駆逐するというように、世にはびこるべきものではないと思うからだ。
 そうしたケースを踏まえたものとして、ひとつの役割を果たすという位置づけをするようなふうではないように、本書は見えた。
 物語の作者は、一定の教訓を与えるために、そしてこのように読まねばならないという制限をつけて、その物語を書くのではないと思う。作者の中でひとつの物語が生まれ、それは読者という別の人格の人生の中に伝わり、それぞれの人の心の中で、また新たな物語を編む、そうした作用をなすためのひとつの契機として働いていく、私はそのように捉えている。そのようなものは、誰でも簡単に書けるものではない。また、それでいい。文章を書く楽しみのためのショートショートは大いに結構だが、物語というものを工場生産物のように作り出すマニュアルがあるように錯覚させることは、よいことではない。これだけは言わせて戴きたい。




Takapan
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