本

『教会へようこそ! 3つの大切なこと』

ホンとの本

『教会へようこそ! 3つの大切なこと』
河村襄
いのちのことば社
\500+
2016.4.

 やや古風な本のようなデザインで、薄く読みやすいように配慮されている。すべてふりがなを具え、さまざまな人に適切に読まれるように作られている。もちろん子どもでも大丈夫であるといえよう。
 サブタイトルのようにして、「教会へようこそ!」と書かれている。教会に来てくれた人に渡せるような本となっている。あまりに多数が押し寄せる教会でなければ、ワンコインのこれもなんとかなることだろう。帯には「新来会者・求道者のための本」と記されている。
 内容は、教会の働きと信仰生活の歩みと二つに分かれ、聖書の一部の解説を折々混ぜながら、ずっと老牧師が話を続けていく、という構成である。
 末尾に小さな文字で書かれていたが、これは、2015年に記念礼拝や伝道礼拝がなされたその説教に加筆などをしたものだという。道理で、一方的に説いていくような口調であったのだ。きっと、その説教が良いという評判だったので、こうした本にしたらどうかという話が持ち上がったのではないだろうか。
 だが、である。
 題の「3つの大切なこと」というのが何と何と何であるのか、私にはよく分からないのだ。目次も二つにしか章が別れていない。Q&AのQも4つ立てられており、3つではない。これは、本の帯にもはっきりこの2×2の構造が示されているのだが、その上にタイトルの「3つの大切なこと」とあるのが、つながらない。
 たどっていくと、ところどころ、「……には3つある」ということが出てくるが、それはひとつだけというわけではない。強いていえば、第四のQが、信仰生活を建てあげる方法として3つ示されているのが目次の中で唯一、3つの可能性があることだが、それだと「救い」は大切なことではないということになりかねない。
 いまもって、その「3つ」というのが何であるのか、私は判然としない。論旨の中でも、3つということが念を押されていないのだ。これが、本の題でなければ私もさほど気にしないのだが、題名の意味が理解できないとなると、どうも後味がよくない。
 それから、帯に「新来会者・求道者のための本」と書かれており、売り出しの宣伝文句にもそのように書かれているのだが、これは初めて教会に来た人に読んでもらうためのものではないとしか思えなかった。専門用語が多すぎる。これは、かなり教会生活をしてきた人が読むに適切な内容だとは思うが、初めて来た人にこれは厳しすぎる。また、新約聖書の物語からメッセージが組まれているのは、説教が基だから当然だと思われるが、教会に初めて来た人向けのものではない。バプテスマのヨハネについては聞いたことがあると思うが……などと書かれても、それはもう、拒絶反応を持たせるために書かれてあるようにしか思えない。とても、新来会者に読んでもらいなるほどと思われるようなものではない。
 同じ教理の理解にしても、たとえば三浦綾子さんの「夕あり朝あり」の中で、聖書や神について素朴な疑問をもつ主人公に、実に身近な例を引いて説明をする信徒のくだりがあるのだが、これは私は聖書をまるで知らない人にも、なるほどそういう意味かと理解させるすばらしい展開だと驚嘆した。しかし、真っ向から聖書の講解を続ける本書のような話し方だと、聖書に慣れた人はよいだろうが、キリスト教とはどんな教えだろうと初めて来た人には、場違いの印象しか与えないことは必定である。「求道者」のためなら、まだ分かるが、この「求道者」という表現自体、今となっては古風である。
 著者はこの説教をした時点で80歳。これは仕方がない。誠実であるし、福音を語っていることはよく分かるのだが、これでは半世紀前くらいのメッセージであるとしか言えない。初めから、キリスト教について一定の背景知識のある老人がターゲットであるというのならば、本書には意味があると思うが、そうでなければ、残念ながら使えるものではないと思う。
 最後のページの祈りに、3つのことと挙げられている。その前のページには、確かに第一・二番目・三番目とあるので、もしかすると、これが3つのことなのだろうか。これは、信仰生活を継続するときに心に留めておきたいことだという。第一は恩寵の手段を身につけること。二番目は試練について聖書から学ぶこと。三番目は自分の中の何かを捨てること。だいたいこのようなことが書かれていた。
 これが、新来会者に「3つの大切なこと」です、と示すことであろうか。いきなり恩寵であり試練であり、いわば自我を捨てることである。よほどキリスト教以外にもう救いがないと追い詰められた人でなければ、見向きもしないようなことではないだろうか。
 最後に挙げる例として、中には異端問題にも踏み込んであるところを見よう。自分がそれまで触れてきた雰囲気とは違うことを感じたら離れよ、と命じている。いつもと違った雰囲気を感じるときにはその感覚を大切にせよ、などとも。新来会者がこれを適用すれば、キリスト教会そのものを離れることになりはしないだろうか。また、たとえ「求道者」であっても、そんなことが分かるものだろうか。私は実はその経験者である。真摯に求めたがために、すべて自分が間違っているという前提でいた。が、実は教えられていたことが聖書を曲げ、食い違っているということに確信をもつまでに、一年近くかかったのである。あまりにもすべてが、教理ばかりから組み立てられている。誰かの実例ひとつないのだ。
 厳しい言い方をしてきたが、それは、内容が間違っているなどという故ではない。福音ではないなどということは全くない。つまりは、内容が、本の題や売り込み文句と、あまりに乖離していると言いたいのだ。もっと別の言い方をして、別の利用法を勧めるのであればよかったものを、これでは、では新来会者に配るために購入しよう、と思った教会が、たいへんな目に遭うことになる。せいぜい、受洗の学びクラスであるなら、よかったのだ。もし本の最後に挙げられた3つのことが大切なことであるのならば、これは洗礼を受けてこれから教会生活をする上で大切なことであると合点がいくからである。
 このように、売り込み方にたいへん問題がある場合には、改善が求められるべきである。そうでないと、いのちのことば社自体の信頼が薄れてしまうだろう。




Takapan
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