本

『三省堂国語辞典のひみつ』

ホンとの本

『三省堂国語辞典のひみつ』
飯間浩明
三省堂
\1300+
2014.2.

 やられた、と思った。辞典編集者自らが、その辞典に限って滔々と語る。確かに新明解国語辞典についても類似のものがあったが、それはいわばファンが記したものだった。辞書を利用する側からのツッコミであって、編者からのものではなかった。たがこちらは、紛れも無く制作者の側だ。まったくの宣伝と言われても仕方があるまい。いや、確かに宣伝である。何故って、これを読んだ私は、猛烈にこの辞書が欲しくなったからだ。
 三省堂は辞書にはもちろん定評がある出版社だが、今挙げた新明解国語辞典があまりにも有名である。独自の思想や色合いが出ており、読み物として楽しい面があることは確かだ。だが、「言葉」について考えるとき、実は信用性に乏しいと私は睨んでいる。面白いのは間違いないが、それはひとつの意見であり、一方からの見方に過ぎず、あらゆる場面に公平に触れられているとは言えないからである。「言葉」についての面白い話を期待してよい場合もあるが、客観的な記述が欲しいというのが、国語辞典を開くときの私たちの基本姿勢ではないだろうか。
 だが、えてしてそのような面は読者一般に顧みられていない。辞典といえば広辞苑が持ちだされ、あるいはまた新明解国語辞典が知られている。少し知る人で明鏡を出してくるか、集英社の良さを知るといった辺りからいくのが普通の見方であるかもしれない。そして三省堂のものと言っても、先の新明解国語辞典と大辞林が表に出るだけで、2014年4月現在、ウィキペディアの「国語辞典」の一覧表に、当該の三省堂国語辞典は登場していない。
 まことに不遇な辞書である。そこで、ということかもしれないが、編者の中で最もメディアへの露出の多い飯間浩明氏が、「ひみつ」の部分を色付けした表紙の、しゃれた本を著した。まさに、三省堂国語辞典だけをアピールするための本である。
 偏った内容なのか、と思って開き始めたが、これが面白い。どんどん惹きこまれていった。内容的には、淡々といろいろな言葉がこの辞典でどう解説されているか、またそのために何を編者は考え、どういう過程でここに至ったか、それが明かされるばかりである。極めたワンパターンの本なのである。
 もう少し正確に言えば、最初の章は、この辞典の歴史と紹介がなされ、最後の章では辞典の細かな使い方や味わい方が紹介されている。だが、他の中身はすべて辞典の一部を引用してそれについてのコメントや感慨、そのように記した背景などが延々と語られるばかりである。しかしこれが実に楽しい。漫才ネタで言えば、つかみとオチはいわば一部であって、大部分を占める漫才の内容が一定の調子で続いていくかのようであり、結局そこで一番笑っていた、ということになるのと同様である。同じことのようだが、一番乗せられていく流れがそこにある。
 具体的なことをあまり言うのはやめておこう。この漫才、ではなかった、言葉についてのこだわりや特徴について何かを感じ、また思わずにやりとするような楽しみは、本書をたどった人だけが得られる特権である。ただ、新語について積極的な取り入れるばかりでなく、いわゆる「誤用」とされるものについても、「誤りやすい点」を明確にし、また、最近実際に流通している語として掲載をしていく、という姿勢は、実際に使われている言葉について調べようとした人に対する配慮として、一定の価値があるのだということを、私が教えられたことは特記すべきだろう。間違いであれ、それは何かと調べる人がいるのだ。それがないということは、判断の仕様がない、ということになる。いや、それどころか、歴史的に深く追究することにより、私たちが俗説で「誤り」と見なしている語が、実は古くから存在したり、根拠があったり、はては元来そちらのほうが正しい用法であったりすることを紹介されると、そもそも自分が教育された時代の常識というものは怖いものだと甚だ考えさせられる。それは、ごく最近起こった習慣や考え方が、さも日本古来の伝統のように振りかざすグループの無知あるいは意図的な誤用と重なって見えてさえくる。自分が育まれた時代の常識こそが、唯一の真理であるという思い込みは、そうでなくても広く人にはあるものだ。言葉についてもそれが確かに言える。そういうところも、様々なところから検討している、辞書編集者たちの息遣いが、この本から感じられるのも味わうべきところだろう。
 どれほど苦労して、一語の説明を考案し、様々な情況に的確にマッチするように工夫を重ねても、辞書には二行か三行程度で書かれてそれで終わりとなる。そう思うと、辞典を私たちはもっと頻繁に引き、細かく読み、凝視して然るべきだと言わざるをえない。そして、他の辞書が気づかないような語や用法を拾い集め、示そうと努めるこの辞書の姿勢が好感をもって迎えられるこの本は、まことにうまい宣伝であったものだと驚く。今後、こうしたアピールの書が増えるかもしれないという予感がするのだが、この予想は外れるか否か、それは著者の知るところではあるまい。




Takapan
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