本

『3D立体映像がやってくる』

ホンとの本

『3D立体映像がやってくる』
石川憲二
オーム社
\1680
2010.4.

 映画のヒットから俄然期待の高まった、家庭用3D。すでに製品化もされており、時代の方向性は、立体映像に確実に向かっている。ようやく地デジという領域に入り込んだ私としては、もう次の時代かとちょっと呆れ気味でもある。これが一般化すれば、また新たな巨大ビジネスになるという意味で、金に注目する人は目がキラキラするし、またやがて、3D以外は視聴できなくなります、などという時代がくることを思って溜息をつく私のような者もいることだろう。
 ここでは「やってくる」というくらいだから、映画館でのそれを言っているのではない。家庭の中にくるという意味であり、端的に言うとテレビジョンである。
 この分野についての適切な解説が、専門書を覗けば殆どない、と嘆いた著者の手による、一般向けの実はかなり専門的な解説の本である。2010夏の今の時点で、たしかにこれに勝る解説の本はないであろうと思われる。それほどに、現在の3D開発についての説明はすばらしい。何ができて何ができないか、どういう原理で立体視ができるのか、これよりコンパクトで詳しい解説は無理ではないかと思われるほどに、きっちり簡潔に示されている。その意味で、今貴重な一冊だと言えるだろう。
 今のところ、専用メガネを必要とするかしないか、ここが大きなポイントのようだ。私のようにメガネをふだん利用していると、そのうえに立体メガネなのか、と少し訝しく思う。九州エネルギー館に立体シアターがあるが、そこでもメガネを貸してくれる。もちろんメガネの上である。10分かそこらの短い上映であるからそれは苦にならないが、これが通常の家でのテレビ視聴となると、はたして耐えられるだろうか、疑問だ。その点も、この本は懸念している。実に疲れる、そのメカニズムについても、この本はぬかりなく解説している。興味のある方はぜひ目を通して戴きたい。
 こう紹介すると、メカのみの説明なのか、というふうに思われるかもしれない。その点、本の末尾の辺りが、答えてくれる。そこからは、意義というもの、メカニズムではない、普及にあたる様々な問題点が扱われている。文科系の方に大いに注目してほしい部分である。
 現にアメリカでも、3Dを見るために何か不都合のある人が半分を超えていると言われ、中の一部は立体視できない、あるいは気分が悪くなるなどで事実上見ていられない、などがありうるそうである。こうした問題点を扱っているところは、実のところメカニズムよりももっと、一般の私たちが知るべきところなのである。
 人間は、まさかと思うような未来を次々と手にしてきた。テレビも録画もそうであるし、かつて007のメカだった携帯連絡装置は、小学生でも手にするようになってしまった。この3D装置にしても、やがて、まだ夢だった時代があったんだってね、と笑い話のようになるかもしれない。しかし、この本は、立体視できるのはある標準の顔立ちや能力をもつ人にとり立体に見えるという設計になっているのが普通であり、それを外れる人にとって大いに問題があるのが現状だということを認めている。視力が左右で大いに違う場合、どうなのだろうか。一方の視力がない人はどうのだろうか。いや、この本でもあまり意識されてはいないのだが、色覚異常と呼ばれるものを有する人は、実のところかなり大きな割合を占めるのであるが、現状でよくある、赤と青の色を利用する場合にどうなっているのか、特に指摘はないようだ。いや、他の方法による立体効果においても、色覚の個性という部分で、計算通りに見えるのであるかどうか、よく分からないのではないかと思われる。極端に言えば、ひとりひとりに、見え方が違うということになれば、いったいどうやって3Dシステムを構築すればよいのか、分からなくなる。個人の条件に設定するのだろうか。では、リビングで複数で見るということについて、ほぼ否定するものとなってしまうと言えないだろうか。
 安易に、得れば儲かるビジネスだということを考える輩も一部にいる。その技術を実現することに職人的情熱をかけている人々も一部にいる。それが必要であるのかどうかなどおかまいなしにそういうものが作られていき、必要であるもののように思わされていく現実の中で、個人だけに福音をもたらすかのような立体映像というもののもつ意味を考えるのは、また個人でやったらいい。そのための事実をもたらしてくれる本として、これは確かに2010現在、非常に有用なものであろうと思う。ここから私たちは、考えていきたいものである。




Takapan
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